最近は新聞紙上を賑やかにさせている、幹部に女性登用を盛んに紙面に書き立てている。まるで女性登用をしない会社は時代遅れのように書いている。

  しかし、その書いている新聞社当人の役員に女性は何人いるのであろうか。多分一割もいたらいいであろう。何故少ないのか自問自答すれば、政府の批判等出来ない。しかし、新聞社の腹黒さはこれに限ったことではない。表向きには外部から女性の役員を置いているが、それはあくまで、表向きである。そんなものどうにでも出来る。理事、監事、評議員とかそんな役員ではない。実質に働いている人の役員構成である。それは掲載しない。掲載すれば自分達の足元を掬われる。その、足元の土台である。あまりにも脚下照顧出来ていないのにどうして気が付かないであろう。

 どこの企業や構成団体でもそうである。主義が同じだからといって、どこかの会社の社長や学校の校長先生や大学の教授の名前を掲載したがる。そうした役員構成に「葵の御紋」が好きなようである。名前に箔を付けたがる人が多い。そんな役員の人達は殆ど活躍などしていないのに、こんな凄い人がいるんだ。塚本幼稚園で「安倍前首相」の名前を使い、巧みにそれを利用した。しかし、実質その企業を発展させているのは、名もない企業戦士がいるからである。だが、下積みした人はいくら頑張っても、多くは日の目を見ることはない。

しかし、実際に働いて頑張っている人は女性が役員に登用出来ない理由も知っている。影では使い物にならないとか、平気で思っているのであろう。そんな人は完全に言葉を使い分けているのである。腹黒い人は表しかみない、そんな人は「葵の御紋」が好きなようである。