私は「貼り付け引用」の怖さというのを前回のブログで記入しました。しかし、一番それを行っているのは野党やマスコミであります。

 

それを「生長の家」教団の総裁が実際行っているのも事実であります。下記がその文面です。これだけみれば、「日本ビイキ」が駄目であると皆さんは思うでしょう。谷口雅春先生はそのようにお説きいただいていると思うでしょう。同じ占領期間で検閲を受けていた時代でも下記の昭和2011月號は事前検閲が必要であります。私が前に書いた『白鳩』誌の昭和213月號ではどうでしょうか?本文も事前検閲がありました。だがどうでしょうか?わかるように長く引用させていただきました。(令和3221日-夫々の随想-参照)

 

この文章では「日本を救いたい」という谷口雅春先生の熱烈たる思いが伝わると思います。

そこが印象操作であります。私も戦後GHQ検閲時代(昭和2010月~昭和2410月)の御文章を拝見していて、様々な文章を讀む機会が与えられました。そこにどのような気持があるのかを讀むことが大切であります。ただ教団は昭和時代の『生長の家』誌や『白鳩』誌の復刻版を作成しないでしょ。何故だと思いますか?雅宣総裁の行っていることが間違いだと云うことがわかるからです。

 

今回の文章はトキ掲示板から抜粋させて戴きました。

 

昭和20年、194511月号の月刊誌のご文章から引用します――

 

“今後の教化方針は「天地一切に和解」「従って天下無敵」(敵あって「勝つ」と云うのは本来の生長の家の教ではない、戦争無の哲学が生長の家の哲学である)を説き、今後の日本の運命も、苦難が来る荊棘(けいきょく)の道だなどと「言葉」で云っていると「言葉は種子」であり苦難が来るから、吾々は今後日本国民に明るく生きる方法を教えるのに全力を尽くさねばならぬのです。吾等は対立国家としての日本ビイキ的なことを説かず、世界人類は一様に「神の子」として説き、特に『人生は心で支配せよ』『新百事如意』を中心に説いて行けば好いのであります。”

 総合的に讀むことの大切さを私は学んでおります。その時に私でもそうですが、理解して欲しい爲に、自分の都合のいい言葉の「谷口雅春先生」の引用をどうしても行ってしまいます。やはり、それは注意しなければなりません。

 どれぐらいの割合でそれが書いているのかを注意しながら引用するようにしなければなりません。