樋口神社

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祭神 :豊饌炊屋姫命 (推古天皇)

 

『日本書紀』に推古天皇9(601) 5月耳梨行宮(みみなしかりのみや)時、大雨が降り行宮の庭に水が溢れるとある。 金本朝一氏は『大和三山の道』に木原町の長老の言として神社から東が行宮の跡との伝があり、天皇という地名があると伝える。こうした伝承から推古天皇の霊を当社に祀ると『橿原市史』に記されている。

 

推古天皇に時代に遡ります。

 

日本書紀

九年春二月、皇太子初興宮室于斑鳩。三月甲申朔戊子、遣大伴連囓于高麗、遺坂本臣糠手于百濟、以詔之曰、急救任那。夏五月、天皇居于耳梨行宮。是時大雨、河水漂蕩、滿于宮庭。秋九月辛巳朔戊子、新羅之間諜者迦摩多到對馬、則捕以貢之、流上野。冬十一月庚辰朔甲申、議攻新羅。

 

現代語訳

即位9年春2月。皇太子(=厩戸皇子)は初めて宮室(ミヤ)を斑鳩(イカルガ)に建てました。

 

3月5日。大伴連囓(オオトモノムラジクイ)を高麗に派遣して、坂本臣糠手(サカモトノオミアラテ)を百済に派遣して詔(ミコトノリ)して言いました。

「速やかに任那を救え」

夏5月。天皇は耳梨(ミミナシ=現在の奈良県橿原市木原町)の行宮(カリノミヤ)にいました。この時、大雨(ヒサメ)が降りました。河の水は漂い、広がり、宮庭(オオミヤ)に満ちました。

秋9月8日。新羅の間諜(ウカミ=スパイ)の者の迦摩多(カマタ)が対馬に到着しました。すぐに捕まえて、上野(カミツケノクニ)に流しました。

冬11月5日。新羅を攻めることを話し合いました。

 

この宮は太子道(耳成道)の橫を通り斑鳩から飛鳥への道として古くからありました。此処で記載のように大雨が降ると宮庭に満ちるほど、それほど高台にはなかったのです。現在でも大雨対策をしなければ、が降ると其の辺一体が池のようになる。ただこの付近に通る太子道(筋違道)は重要な幹線の一つであり、周辺に通る河川の関係で斜めとなる。

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