本日、朝から録画していた「円空 仏像に封印された謎」(NHK)を見ていました。

そこで気になった言葉があります。女性は穢れたものだと当時はされていたというコトバでした。少し勉強したりすると、そういうことをやたらに云いたがる人がいる。だが古代から日本では不浄として女性を捉えていたのであろうか。そこが不思議でならなかった。『古事記』では果してそんな言葉が使われていたのであろうかである。

 平塚雷鳥の『元始、女性は太陽であった』では

 

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。/さてここに『青鞜』は初声を上げた。/現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。/女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。

 

元始というのは勿論、天照大神である。日本では女性が主役である。母系社会である。

 

『古事記』では倭建命の項目にその女性の月経について書かれている。(『古事記』原文)

 

自其国越科野国、乃言向科野之坂神而、還來尾張国、入坐先日所期美夜受比賣之許。於是、獻大御食之時、其美夜受比賣、捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣、其於意須比之襴  意須比三字以音  著月經。故見其月經、御歌曰、

 

比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿禮波須禮杼 佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理

 

爾美夜受比賣、答御歌曰、

 

多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余

 

故爾御合而

 

現代語訳では

 

そこから科野国(しなののくに)に入り、科野之坂神(しなののさかのかみ)を従わせ、尾張国に帰ってきました。

 

以前に結婚の約束していた美夜受比賣(みやずひめ)の家に泊まります。

 

食事のとき、美夜受比賣が酒盞(さかづき)を差し上げると、美夜受比賣の意須比の襴(おすひの裾)に月經(つきのさわり)が付いていました。

 

それを見た倭建命の歌は、

 

ひさかたの天香具山の上空を鋭利な鎌のような姿で飛んでいる白鳥。そのか弱く細い首のような、あなたの腕を枕にしたいと、私は思うが、共寝をしたいと私は思うが、あなたが召している着物の裾に、月が出てしまったよ

 

そこで、美夜受比賣が返されました歌

 

日の神の御子、我が大君。あらたまの年が過ぎ去っていくと、あらたまの月が過ぎ去っていくと、真実本当に、あなたを待ちきれないで、私が着ている着物の裾に、月も出てしまいました

 

このようにして、二人は結ばれました。

 

これを讀むと、何等穢れたこともなく現代的に云えば“あっさり”しているのです。日本では古代はそうしたことは不浄なことではないのである。

 

 いつからそのように「穢れ」と考えるようになったのかといいますと、「仏教伝来」からなんです。女性は成仏できないという思想が根底にあったからです。

 

 また、佛教については何れ詳細に書いていきたい。

 また女性が相撲の土俵に上がれないのは「差別」だとする人もいますが、御存知の通り相撲は神事なのです。相撲取りが土俵で四股を何故踏むのかを考えてみると、「四股」は「醜」をシコと呼んで、地中の中にいる「醜」を踏んで追っ払うためのものなんです。

 高く足をあげ大地をふみつける動作は、土地の邪気を払うため。昔は「四股」ではなく「醜」という字を「しこ」と読み「醜をふむ」とは「醜いもの・おそろしいものをふみつけて払う」という意味だったのだ。

 

そうした役目が男性が行ったもので、女性を差別したりするものではありません。