円空と聞いて「十一面観音像」を直ぐさに思い出す。一度、何処かの寺院で「円空」の彫刻した仏像を拝見したが、何ともいえない味わいの或る彫刻に感動した覚えがある。

当初は聖林寺の十一面観音菩薩像に何時間も佇み、その妖艶な美しさに惚れ惚れした。この像は捨てられていたのを拾ってきたものであると聴く。それが国宝であるからその価値が分る人にはダイヤモンドより尚その価値があることが理解出来る。

 

 随分以前に「十一面観音像」を巡る旅をしたことがある、十一面観音菩薩と云えば、見に行ったものである。サークルを作って、観音菩薩を中心に見に行った。

 

とりわけ奈良県を中心にした十一面観音像を見たときに何ともいえない感動をした。

それは素朴ながら寡黙に視線をひたすらに下にみて、それを衆生救済を目的とした優しい目である。  

今回の十一面観音像を巡ることを立案したのは、十一面観音とはそもそも水の神様であり、その証として水瓶(すいびょう)を持っている。もちろん中は一切の穢れを消す八功徳水が入っているとされている。この水の神は功徳の神として、民衆に受容れられたとされるのも頷ける。それでは今回の奈良、とりわけ桜井市の付近に考えたか。偶然かどうかわからないが、長谷寺や室生寺の周辺には万葉の時代は「隠口(こもりく)の初瀬(はせ)」といわれ。やはり初瀬が長谷(はせ)になったとも考えられる。この付近には龍神信仰があった。その証として龍王、龍門、龍谷と呼ばれる地域があるのである。また室生寺は一時龍王寺とよばれていた。勿論近くにある龍穴(りゅうけつ)神社がある。室生寺からすぐ近くである、室生寺川に沿ったところにあるが、室生寺より古い神社とされる。

 

祭神;タカオカミ神(竜神)である。やはり吹田市や神戸にある垂水神社にある水信仰は昔、旱魃に困った民衆が雨乞いしたところである。そうした信仰が十一面観音信仰に導かれたことは、自然の理である。

 

救いを求める者に千変万化するとされるとされている十一観音は救いの根源である。十一面観音の十一面は人間のあらゆる顔を表している。正面3体(菩薩面)は慈悲の心をしめしており、静かな顔立ちである。

 

左側面3体(瞋怒面(しんぬめん))は眉を吊り上げ、口を「へ」の字に結んだ表情で、仏の教を守らぬものに対する怒りを表す。

 

右側面3体(狗牙上出面)は結んだ唇の間から牙が覗く。激励を表す表情とされる。

 

後ろの1体は暴悪大笑面とされ、大口を開けて、悪人や悪行に染まる人を笑い飛ばし、善に向かわせる表情とされる。

 

もし、見れるようでしたら後ろの面を是非見てください。

 

さて、江戸初期の仏像師である円空は後年、一体彫りの十一観音像を彫る、それもいくつかの一体彫りを残している。ちょうど柱のようなまっすぐな仏である。笑みを讃え、どことなく温和である。

 

梅原猛氏は円空に対して

 

円空を語る時、その根底の白山信仰を避けて通ることはできない。白山信仰とは泰澄によって開かれた、神仏習合の十一面観音信仰である。『美並(みなみ)村史』の史料編に収められた「十一面観音式礼拝文」は、泰澄が自己の信仰を語った文章だと梅原氏は推論する。この「十一面観音式礼拝文」は、泰澄が美濃に建立した洲原神社の神職を務めた西神頭(にしごとう)家に伝わってきた文書である。円空は西神頭家が管理する神社に、はじめて神像を彫刻して納めたとされる。その文書によると、水瓶(みずがめ)を持っている十一面観音は、水を司(つかさど)る仏であり、その本質は澄んだ水、すなわち澄水ということだ。私たちの心に湧(わ)きがちな濁った水を、たちまち清い水にしてくれる。

 

 「私がちょうど春に美濃側から白山に詣でる巡礼の道を辿(たど)った時、白山の雪解け水が川に流れ込んでいて、田では田植えが行われていた。白山の雪解け水は、東側では揖斐(いび)川、長良川、木曽川、西側では九頭竜(くずりゅう)川、手取川に流れ込み、田に水を供給する。白山の神は稲作農業に最も必要な水を農民に与える神なのである」

 

 背景に豊富なフィールドワークを持っている梅原氏の論は、ダイナミックで説得力がある。日本に仏教を取り入れた聖徳太子は、貴族にまでしか教えをおよぼすことができなかった。十一面観音の信仰を広めた泰澄は、農民にとって最もありがたい水の仏をもちいることにより、仏教を庶民の世界にまでおよぼしていったのである。

 

 円空は泰澄や行基の系譜の中に置くことができる。庶民の中に仏教を浸透させるにあたって、日本にはことに豊富な木に仏を刻んだ意味は大きい。

 

ここが大きな要点である。十一面観音信仰と水の関係は禊としての水は大きな意味がある。雨乞いは古代の民衆にとっては命の要(かなめ)である。

 

対比のような関係であるが、お水取りが火の松明で何故「お水取り」なのか不思議であったが、「十一面観音」の懺悔の対象としての観音であるとなれば、納得である。

 

また長谷寺という名称ですが、この地域は初瀬といわれ昔からハツセと呼ばれていました。万葉集のなかに「こもりくの泊瀬(はつせ)山」といわれ古代から後背に面する山は初瀬山といわれています。この地域は「こもりくつまり隠国。隠(こもり)と「く」は場所、所の意」です。それでは何に対して隠れているのかというと「三輪山」ではないかと思います。三輪山の東側に巻向山があり、さらにその東側に初瀬山があります。また地名では出雲という所があり、日出る所に対しての出雲であり、隠れという言葉は理解できます。だがそのような場所でも信仰に対する敬慕の気持ちは関係ありません。初瀬川(大和川)の沿った道は初瀬街道(165号線)でありますが、その沿道には神社や仏閣も多く点在しており、古代からの信仰が篤い地域であることが推測できます。

 

また近くに万葉発祥の地があり、磐余(いわれ)といわれる、これは日本書記の最初の地名でもあり、この地で第一回の大嘗祭も行われた。

 

万葉集には

 

「つぬさはふ磐余(いわれ)過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ」(つぬさはふは枕詞。磐余はわが国の最も古い地名。

 

「ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」大津皇子 ももつたふは磐余の枕詞。(百伝ふとも書く。大津皇子が謀判の罪で捕らえられ、処刑される時に磐余の池の堤で涙をながしてお作りなられた歌。

 

そうした場所は「万葉集発祥の地」とされ、このすぐ隣にある。今回は古代のロマンと泰然とした観音様をゆっくりと拝観させていただきましょう。また、国宝に指定されている十一面観音菩薩を室生寺でそして重要文化財の長谷寺の十一面観音菩薩。それぞれに趣があり、素晴らしいです。