最近は深遠なる“緣”というのを深く考えさせられます。これも「谷口雅春先生」を深く知ろうという考えが、そのようにさせているのだと感じております。昨日メ-ルで谷口輝子先生の御言葉が記載された御文章を戴きました。

その文章のなかに、大本での話が記載されていました。収入がない生活になると、どうすればいいのかと迷ってしまう。私など、更にガメツク考えて、常に「どうしたら儲けることが出来るのか」と深謀を回らして邪念を考えています。谷口雅春先生は大本の時代は無収入で心細い生活をされていた時にも輝子奥様が

「収入がなくて、どうやって生活をしていくんでしょう」私がそのように申しますと、

谷口はつねに平然として

「神様が導いてくださるでしょう」

と答えたものです。

それでも、アンテナをめぐらせて、信徒の人にも是非雅春先生の「光明眞理」を知らせたいという気持ちが“緣”となって、色々な御本を入手することができます、それが不思議なのです。そうした“神緣”を深く感じております。最近においても、谷口雅春先生の御本を入手することが出来たのも、「神様が與へて戴いた」ものであると感じております。その本は私の拙著の『谷口雅春先生著作年譜一覧表』にも記載のないものでした。

それは光明叢書の第一篇「光明の眞理」でした。これは既刊として「本部のブックレット」に記載されているのが第一篇「現代に機會ありや」があります。

また、「市岡中学時代」の年間スケジュ-ルも偶然に「フト」した思いが発見させたものです。また『健民』の御文章もそうです。私はそれを手に入れて「私物」にだけは絶対にしたくない。みんなが見れる『国会図書館』の寄贈が一番いいのだと思っております。その前に著作權にひかからないように記載していきたい。