生長の家が斯くの如く、分裂し、いがみあい、時には憎しみ合い、罵り合うようになったのは何故かということであります。

 昭和25年の『生長の家』誌8月号に掲載された谷口雅春先生の法語である。谷口雅春先生はこの法語において、「生長の家の宗教運動としての性格、本部員の使命、地方講師の本文、そして地方講師の運営の在り方について諄々と説かれ、その中核を貫く精神として『教祖にかへれ』といふ時が来ているのではないか」と示されている。

 

現在の悪影響は、例え現総裁と雖も「教祖」に対して尊崇しなければならないし、その教理を遵守しなければ、その組織は崩落するのです。それは宗敎の哲学であるように思うのです。浄土宗は法然の教えを遵守することにより、「浄土宗」としての哲学的な論理が生れるのです。浄土真宗は親鸞の教えを護ることにより「浄土真宗」としての価値が見出されるのです。

それを「今の教え」と云って、平気でそれを破棄して護らない人は「法燈継承」したとはいえないのです。