竹岡博文先生ご逝去に接し心からお悔やみ申し上げます。

 

私と竹岡さんとの出会いは昭和50年頃でした。当初は本部から面白い人がいるということで、森田征史先生との宴会での話とか、競馬の話とかパチンコの話とか色々と「生長の家」とは関連のない他愛もないことでよく盛り上がりました。

本部に用事の時に生長の家の不動前住宅の御自宅に宿泊させていただいたりしました。大阪では二人で宿泊場所がなかったので已む無く、得体の知れないホテル(難波)に泊まったことがありました。また深夜映画館で泊まったりしたり、まあ今では考えられない事もしていました。

ジュニア友の会の時代では講師としてよぶきっかけとなったのも、私と親しくなったこともあり、無理を言って何回も大阪に来て頂きました。

当時、ジュニア版の表紙撮影をしていた人と親戚関係だと聞いていました。

最近は体調を崩されていたことは聞いていました、インタ-ネット関連も人々の交流も全て縁を切られて、宇治から引越しされたことまでは聞いて居りました。

心からお悔やみ申し上げます。