「これを失えば、日本は日本でなくなり、国民は国民でなくなる。これがなくなれば、国は解体してばらばらになり、国民は全体としての個性を失って精神的に荒廃し、人類文化に寄与すべき根元の力を持たなくなる。-このようなものが『天皇』の本質である」

田中忠雄先生の一言である。

 道統というのは、一年や二年ではなかなかわからない、否、十年経っても解らないものである。それが嫡々相承である。生長の家はその「嫡々相承」が出来ていないから、「生長の家」が「生長の家」でなくなってしまっているのが現成なのであります。

 日本国でもそうであります、「天皇」を失った国は日本ではないのであります。

 

谷口雅春先生の御言葉に

日本国の“いのち”は、どんな創造的アイディアをもって出発したかというと 第一に 天照大御神の 「 天孫降臨の神勅 」 にある。

「 豊葦原の瑞穂の国は(世々)わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり 」 というアイディアをもって出発し、第二に 神武天皇の 「 ( 前略 ) 六合(りくごう)を兼(か)ねて都(みやこ)を開き八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為さん 」 という建国奠都(てんと)の詔勅(みことのり)に 日本国誕生のいのちが内包する個性ある創造的アイディアが言(ことば)をもって表現されているのである。

日本国は、その国の王たる者が武力 又は 暴力をもって 権力を掌握したものでないこと、その国の王者たるものは 神定の霊統を引くものの子々孫々が嫡々(てきてき)相承(そうしょう)すべきこと―これによって日本国家の中心形態のアイディアが定ったのである。これが 子々孫々 永久に伝えられるべき国家のあり方の第一最大の伝統なのである。この伝統が生きて嫡々相承している間、日本国のいのちは生きているのである。

『 聖なる理想・国家・国民 』( 151頁 )谷 口 雅 春 先 生

 

 正法眼蔵に照らし合わせてもう少し考えてみたいと思う。