一つの言葉に引っ掛り、それをとやかくいう事はどうなんでしょうか?

  私なりに戦前の検閲と戦後における検閲と今回の雅宣氏の検閲に近い行ない方に対して、厳しく対処しているわけで、失礼ながら、それに対して誰よりも勉強して来たので、より気持ちを込めて伝えなければいけないと思っています。本音の時代さんが言葉のニュアンスが違うとそう感じれば、それでいいのではないかと思います。それを修正させようと、無理やり言いくるめようが、私はこれに対して頑なにこの「焚書」というコトバを使用したい。それがもし間違いならば対処しますが、そうでなければ、私の今までの思いを踏襲したい。それは、現今の教団に対して厳しい言葉で谷口雅宣氏の言動にクサビを打ち込んで行きたいこともあります。

 また「焚書」の何がいけないのか、「本音の時代」さんの書いている内容では、失礼ながら、さっぱりわからない。私を理論で是非打ち負かして下さい。宜しくお願いしたい。それと、誰が見ても今回の事は無用の論戦に見えるのではないかと思います。それよりも、谷口雅春先生の書いている内容についてどのように考えていかなければならにのかが重要であると思います。