「大東亞戰爭無縁戰歿者英靈に捧ぐる辞」で書きませんでしたが、インタ-ネットで調べて見ると「生長の家」の信徒でも引用されている字は全てが「没」の字なのです。「日が没する」と同じ感覚なのです。「歿」は「歹」編で辞書では歹部(がつぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では78番目に置かれる(4画の18番目)。

歹(𣦵、歺)の字は肉を削り取った後に残った骨を意味する。偏旁の意符としては死や傷害に関することを表す。歹部は上記の意符を構成要素にもつ漢字を収める

 

殉職の「殉」はどうしてこの字であるかを考えたら理解できるが、表外字で歿がどうして駄目なのかわからない。先日もある字で「お陰様」と書いたら、その漢字は谷口雅春先生はあまりお使いになられませんでしたよと教えて頂いた。私もそれは納得するしかなかった。確かに、『生命の實相』を読むと、全てがこの字であるからです。「お蔭様」と書かなければならない。先日も知らなかった字であったが「蹈」という字ですが、谷口雅春先生はちゃんと分けて使われていました。多くは「踏」ではなく「蹈」を使われている。『生命の實相』を読めば理解できるのですが、やはり私も今回初めて知って、勉強不足を感じています。