私は昨日の花園天皇による『学道之御記』の冒頭に書かれている文章を引用しました。それが下記に内容です。

 

「学問の目的はただ文字を識り、博学になるためのものではなく、本性に達し、道義をおさめ、礼義を知り、状況の変化をわきまえ、過去を知りして未来に活用するためのものである」

 

「道」を復興させ四書学を学ぶことを重き、書いておられるのです。

しかし、この言葉の意味を理解しないで、多くの人は知識のみに能力を養い、人としての道義を忘れ、やたらに他に対して「攻撃」を行ったり、それを反駁する人を憎み、怒りして、互に相爭い、本源としての信仰を忘れるのです。

 

 神想観を行った後に怒号を飛ばし、口角泡を飛ばして、ホンの数分前の神想観はなんだったのだろうと思う様な人が幹部に現れたりしています。

 

 「宗教同士爭うな」と谷口雅春先生を書かれています。しかし、そんなことを忘れて、別の文章を引用して「雅春先生」はこのように書いておられると掲示板で批判するのもおかしな話である。如何に爭いを防止することも、頭の中に考えておかなければならない。

 別に仲良くせよとは云わないが、互に相手を批難することだけは「周囲」からみても恥ずかしい事である。

 確かに教団側の醜態は目に余るものがあるが、内部ではそれほど重要と考えていない人が多い。それより、「仲良し」で行っていきたい。今迄、先生と呼ばれていたのを放逐したくないという慾望が優先するのだから、致し方ない。だけども教団内でも真剣に考えている人もいる。そういう人に支援したい。なんとか出来ないものであろうか。