下記のことに関してですが、私も共通の思いがあります。

私の母が亡くなったおり、葬儀において生長の家関連の樒などもなく、五十年に渡った活動も「生長の家」は全く関係ないということでした。そこで教化部に連絡したら、その方は「護持会員」で「什一会員」でなかったので、決まりでしていません。という返答でした。私の母は兄弟や親類など50名の人を入会させ一人でそれを行ってゐた為、自分を「什一会員」に入れる金銭的な余裕がなかったのです。しかし決まりと云われれば致し方ありません。吹田では母のことは有名でしたが大阪の教化部までその名前は伝わりません。

 

 当時、私は葬儀責任者で交渉などしていましたが、遠くから駈け付けた人も多くいました。来ていただいた近くの白鳩さんも私も知り合いです。その時は教化部からは誰も来なかった。

当時の教化部長に連絡したら、私の母の事はよく承知で何回か話もしている仲でした。その件で教化部の対応に怒って、その後お詫びに墓前に来て頂きました。

 

組織というのは人の繫がりだと思うのです。規則ではないと思うのです。だから今もその教化部長とは付き合いがあります。

 

 

日時:20200630 () 0828

名前:トキ

 先日、私の友人が嘆いていましたが、こんなことがあったみたいです。

 

 長年、青年会と相愛会で活躍した役職者が晩年、闘病生活のため、聖使命会費の納入手続きができず、退会の扱いになりました。亡くなられた事を知った友人が、現在の幹部に連絡を入れたところ、その幹部が

 

 「あの方は退会されたのですから、葬儀に行く必要はありません。」

 

と言い放ったそうです。流石にそれは酷いと友人が説得し、後日、それなりの扱いは受けたそうですが、生長の家がここまで劣化したのか、と愕然としていました。

 

 ところで、生長の家の組織文化として、どんなに功績があった人でも、退会したら「無関係」というのが建前です。どんな正論を言っても、「外部の第三者のご意見」に過ぎません。

 

 逆に言えば、組織に残っている人が発言をすれば、それは影響力を持つというのが私の経験から感想です。