私の産土神社は「垂水神社」である。家から北側へ山の方に登ったところにある。

万葉集の志貴皇子が歌ったとされる歌がある。

 垂水神社にその歌碑がある。そこに

(万葉歌碑)

いははしるたるみのおかのさわらひのもえいつるはるになりにけるかも

               (志貴皇子 万葉集巻81418

 

あれ?たるみのおか?どう考えても習った言葉と異なる。

 

 この歌の普通の訓は「石走る垂水の上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかも」である。

 「垂水」は滝などの意味の普通名詞と考えるのが一般的であるが、これを特定の地名と考え、この地の地名「垂水」のこととする説もある。この歌碑がここに建てられているのは、この説に拠っているということである。

 この説を主張しているのは契沖である。

 彼は、その著「万葉代匠記」に於いて、志貴皇子のこの歌と次の歌の「垂水」について、この地の地名「垂水」のことだと論じている。

命(いのち)をし さき)く(よ)けむと 石走(いはばし)る 垂水たるみの水を むすびて飲みつ

                    (万葉集巻7-1142

 

[題詞]春雜歌 / 志貴皇子懽御歌一首

 

[原文]石激 垂見之上乃左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

 

[訓読]石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

 

[仮名]いはばしるたるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも

 

上(うへ)を“おか”と呼ぶのかである。反対に「妣」という字は“ひ”で濁音なしであろう。

何故、変えてしまったのか不思議である。学者が書いたのであろうが、素直に書けばいいのであろうと思う。

先ほど書いた、仁孝天皇の父君である。志貴皇子、志紀皇子、田原天皇とか色々と呼ばれている。