最近のブログを見ると、情けない思いが出て来る。それは講話など出来るような人格者でもない人間が講話して「天狗」になっている姿である。また、これでもかと谷口雅春先生の御文章を引用して、「ほらみてみろ」わかっただろうと上から目線の表現にウンザリするのである。お前さんいつからそんなに偉くなったのだ。そんな思いが頭を過る。

 

それは文章を引用した谷口雅春先生のお言葉が素晴らしいのであって、自分はまだまだ修行中であり、勉強不足も甚だしい。それを感じなければならないのであって、自慢するようなものではない。また、雅春先生の聖典によっては様々な表現がある。だから勘違いするのであろう。

 

私は「生長の家」は修行などいらないとは雅春先生が書いて居られますが、やはり修行というのは必要ではないかと思うことが屡々ある。雅春先生は苦行などの自分を痛めるようなことは必要ないとおしゃっているだけで、或る程度は“人の飯(めし)を食い”そこで厳しく教え込まれ、「こんなに働くというのが、肉体的には辛いのであろうか」とか、人間関係で悩んだりするのも必要である。その家業を継ぐために、外に修行を出して、10年間位は人に從って生活するのも必要である。

 

随分前に京都市左京区の円山公園の東側にある「吉水草庵(よしみずそうあん)」という所に一泊二日で修行させていただいたことがある。でもたった二日だけでは修行にはならないのですが、スケジュ-ルがほとんど休憩なしで、夏の八月のク-ラ-もない扇風機もない生活がたしかに大変だったが、いい勉強であった。二日目の終了したのが夜の8時頃であった。円山公園から吹く風が少し冷たかった。

 

その場所は「吉水草庵」ですが、安養寺という法然上人が専修念仏の教えを広めんがためにそこに住まいされた所です、その安養寺の裏側に東山のそそり立つ岩石に洞穴があるが、昔は其の辺一体を「眞葛が原(まくずがはら)」とよんでゐた。法然は厳しい修行を積み重ねても、「自分は仏教の基本である戒・定・慧三学の器ではない」ことを痛感するのです。

 

ここでの修行はさぞ厳しかったと思います。洞窟の上から雨水が滴り落ち、湧き水が肌に震えを誘います。ここ「法垂窟」は法然上人が夢枕で浄土宗の祖と仰ぐ中国・唐僧善導大師に出会ったという伝説地とされ、「真葛ヶ原の出会い」「真葛ヶ原の対面」と呼ばれています。比叡山を下り、はじめ黒谷(現在の左京区黒谷・金戒光明寺)と今出川に賀茂の禅房の草庵を結んでのち、青蓮院の寺地であった真葛ヶ原吉水に草庵を結びました。

 法然43歳の時です。比叡山で修行にあけくれた後であります。

 

「自分は仏教の基本である戒・定・慧 三学の器ではない」と感じるのがなかなか難しい、一度、先生と呼ばれれば、有頂天となり増上慢となり、得意気に「講話」などする。話が上手であるが、中身がない。それを分らないのが何ともいえない。本人はそういうことが理解できていない。