富島 明治天皇-1

明治天皇聖蹟碑 川口運上所址/大阪府外務局址

『明治天皇聖躅 川口運上所址 富島外務局址』と刻まれた石碑と, 説明板がある。
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江戸末期に 日本は長い鎖国を解き, 神奈川・函館・長崎・兵庫・新潟 の5港を開港し, それぞれに 運上所を置き, 続いて 江戸と大阪にも運上所が置かれた。運上所とは港への物の出入りを管理する機関で, 外交事務や関税を取り仕切っていたが,1872(明治5)年には 全国の運上所の呼称を“税関”と改められた。

 

それぞれの運上所開設時期は 次の通り。

兵庫(神戸)1858(安政5

箱館(函館)1859(安政6

神奈川(横浜)1859(安政6

長崎(長崎)1863(安政3

築地(東京)1867(慶応3

川口(大阪)1867(慶応3

新潟(新潟)1869(明治2

 

慶応3(1867)828, 大阪税関の前身である川口運 上所が, ここ川口の地に設置されました。

  当時の運上所は, 現在の税関事務と外交事務を行っていました。 慶応4(1867)51, 「五代友厚」(初代大阪税関長, 後の 初代大阪商工会議所会頭)が「外国官判事」に就任し, 運上所の事務を行 うようになりました。

  明治5(1872)1128(税関記念日), 全国の「運上所」 の名称は「税関」に統一され, 川口運上所は大阪税関となりました。

  大正9(1920)511, 大阪税関は港区の築港に移転し, この地に大阪税関富島出張所が設置され, 現在に至っています。

 

大阪税関発祥の地址

 

慶応3(1867)828, 大阪税関の前身である川口運 上所が, ここ川口の地に設置されました。

当時の運上所は, 現在の税関事務と外交事務を行っていました。 慶応4(1867)51, 「五代友厚」(初代大阪税関長, 後の 初代大阪商工会議所会頭)が「外国官判事」に就任し, 運上所の事務を行 うようになりました。

明治5(1872)1128(税関記念日), 全国の「運上所」 の名称は「税関」に統一され, 川口運上所は大阪税関となりました。

大正9(1920)511, 大阪税関は港区の築港に移転し, この地に大阪税関富島出張所が設置され, 現在に至っています。

 

大阪税関発祥の地跡

 

慶応3(1867), ここ川口の地に大阪税関の前身 である「運上所」が設置され, 翌慶応451, 外国官 判事「五代友厚」(初代大阪税関長, 後の初代大阪商工会議 所会頭)・同「陸奥宗光」の両人が事務をとり開所しました。

明治5(1872)1128, 運上所の名称が 全国的に「税関」に統一され, 大阪税関となりました。 (現在, この日を税関記念日としています。)

大正9(1920), 大阪税関は港区築に移転した ため, この地に富島出張所が設置され現在に至っています。

 なお, 「運上所跡」を示す石碑が, 当庁舎の後背地に 建てられていますので, 見学ご希望の方は, 当所 職員(管理担当)までお申し出ください。

 

大阪税関 富島出張所

 

この地域は江戸時代は小さな島であった。そのため富島とよばれている。此処には現在では大阪中央市場があるがそこまでの安治川を渡船により渡るしかなかった。その名称が“富島の渡し”という。明治天皇聖蹟碑から120m西側にある。
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大阪中央卸売市場付近の安治川にあった渡しです。安治川が河村瑞賢によって開削された当初はこの渡しは無く、この地の少し上流側に安治川橋が架けられていました。明治初期になると安治川周辺は外国人居留地として整備され、それに合わせて二代目の安治川橋が設けられました。この橋は当時少なかった鉄製で、大型船の通行時には橋桁が旋回するという立派なもので市民に親しまれたといいます。しかし、明治18年の大洪水で他の大川に架かっていた橋が数多く流され、その流木が安治川橋の橋桁に堰き止められることで、洪水の被害が拡大する危険性が高まったために爆破されてしまいました。それ以来、この地に渡しが設けられることになり昭和57年まで運航されていました。

 

ちょうど、富島の渡しの南側に河村瑞賢の碑がある。
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