谷口雅春は尋常小学校時代二年生の時に現在の天満という所に住まわれていた。ここは天満宮からも近く、江戸時代にはこの地域には「天満組惣会所」というのがあった。これは江戸でいう町年寄に相当します。
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 大坂にも町年寄はいますが、惣年寄の配下となる。

 17世紀中ごろまでに成立した大坂三郷の町の行政を担当したのが、町人の中から選ばれた三郷惣年寄とその下に属する町役人であった。大坂三郷の統治は、大坂城代-大坂町奉行-惣年寄-町年寄-町民(町人・借家人)という体制で行われた。

 それらの惣会とは

惣代は元来、町々の町代であり、町代が順々に町奉行に赴いて、郷内の用事をしていたため、町奉行所では惣代といっていた。しかし、町々の用事が多いため、町奉行所にでるのは迷惑であるといって、人を雇って出頭させた。ところが、雇人が事務に熟達してきて、雇人だけで用がすむようになり、これを町奉行所で惣代とよんだ。

この付近は天満と呼ばれていたが、なかには商人では薬を売る稼業もあり、この信保町の隣には典薬町という名前があるが、これも薬を生業とするものである。

 何故、「藥」と疑問の人もおられると思いますが、大阪の道修町(どしょうまち)は本社がある薬関係の企業が大変多い、

カイゲン

小林製薬

塩野義製薬

大日本住友製薬(旧大日本製薬+旧住友製薬)

武田薬品工業

田辺三菱製薬(旧田辺製薬+旧三菱ウェルファーマ)

扶桑薬品工業

丸善薬品産業

和光純薬工業
道修町にオフィスのある製薬会社(前項に挙げられた企業は除く)。
伊藤由製薬
乾卯栄養化学
イワキ
エビス薬品
小野薬品工業
関西薬品
興和
小城製薬
金剛薬品
シオエ製薬
鈴粉末薬品
関商
第一三共(旧第一製薬+旧三共)
ダイト
大鵬薬品工業(大塚製薬系列)
高砂薬業
田村薬品工業
DSファーマバイオメディカル
天藤製薬(武田薬品工業と販売提携)
東洋製薬化成
常盤植物化学研究所
日新化成
ニプロファーマ
日本新薬
日本製薬
日本バルク薬品
日本粉末薬品
日野薬品
富士化学工業
富士カプセル
堀江生薬
丸三薬品
丸善製薬
三国
八ツ目製薬
山善製薬
横内製薬
米山薬品工業
ワイス

道修町(どしょうまち)とは

 

道修町といえば薬屋、薬屋の町といえば道修町といわれます。

それほど有名ですが、では、一体いつごろから道修町は薬問屋の町になったのでしょうか。

 

道修町は、秀吉の頃すでにある程度町の形ができていたようです。

 薬種問屋が集住し始めたのは、寛永年間(162444)に堺の小西一族の小西吉右衛門が道修町に薬種屋を開いて以来といわれています。

 

享保7年(1722)八代将軍吉宗が大坂で病に倒れ、道修町から献じた薬で病状が回復したので、薬種商124軒に中買仲間の免許が与えられ、薬の町としての地歩を確立しました。

それ以来ずっと薬問屋の町として発展し続けています。

 

その薬を売る商売で「しんぽ」という薬を売っていた。そこで「しんぽ」の当て字として「信保」という漢字が割り当てられた。

 

 豊臣秀吉時代から天満は「天満青物市場」と知られ、近くの天満宮には「ガラス発祥の地」の石碑がある。また「造幣局」も近くにある。江戸時代からこの付近は賑わっていた町工業としてです。薬も必需品でそういう「しんぽ」という薬を売っていた人が多いため町名を「信保」と名付けた。
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道修町には少彦名神社があります。小さな神社ですが立派な神社です。
少彦名は『古事記』『日本書紀』に記述が有ります。

『古事記』では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされ、系図史料には天湯河桁命の子とされる。