『神靈界』大正八年七月十五日  (第九十號)

讀者欄「心理學者の妄論」   小倉七美

―靈魂の問題は心理學の領域外―

―中村古峡氏もって如何とする―

 

小熊虎之助氏は本月號の『變態心理』の質疑應答欄で心理学の領域を明瞭に規定してゐる。即ち『世界に於ける総ての心理學者は實にこの精神とはいかなる物なるかと云ふことを、(心)學理的に詳細に説明し解明せんとして、一生をあげて努力してをるものです。そしてその研究は二千年來から始ってをるのですが、然し今だに於いてその説明は少しもその結局(論)に向って近づいて居ないのです。

然し注意すべきことは、現代の心理學は「精神」とか「靈魂」とか「心魂」といふ樣な本體や實體を研究するに留るものではなく、單に意識の現象精神の現象を現象するに留るものであります。若し「精神」といふ吾々の本體を知らんと欲せられるならば貴下は哲學書に就かれなければなりません」と。これは心理學者の本音である。同じ雑誌で靈魂とは如何なるものなるかを解決しない前から靈魂や憑依を否定して、皇道大本に難癖をつけてゐる中村古峡氏に敎へる。

 

靈魂の憑依の問題については靈魂とは如何なるものかを解決し得た人だけに論議し得るのである。蚤も蚊も實在しないのである。唯痒いと云ふ心理現象が實在するのである。と云ふやうな盲目的論議は何の権威もないではないか。なにゆゑ痒いと云ふ現象が存在するのか、何故人格転換と云ふ現象が存在するのか、何故暗示感受性に強弱があるのか。それ等を解決し得ないで徒らに神憑と云ふ事實を否定すべく「變態心理」の殆ど三分の二を提供して、愚劣なる虚構記事を作爲して、(鎭魂中の誘導暗示らしい對話は明瞭に捏造せるものである事を私は證する)紙面を埋めた恥知らずの濫書と云ふものは、古峡氏の言葉に從へば今日の精神病學で云ふ妄想性痴呆(古峡氏の際には特に心理學的色彩を帯びてゐる)患者に屡々現はれる濫書症と云ふ一種の症狀に外ならないとは云はれても仕方があるまい。

 

そして古峡氏は綾部滞在中出來るだけ大本敎を詳細に取調べた積りでありそうなが、氏の滞在日数は(自分は昨年が參陵の當時在綾したので、是等のことを證しする)僅々二日に滿たないのである。そして氏は鎭魂を受けずに逃げた人の一人で、惡靈に憑かれてゐるものは大本の審神者の前に瞑目して坐することを非常に嫌ふのであるが、氏がさうであつたかどうだか言明する限りでないが、氏が鎭魂について一二回傍観した他何等の經驗がないのは否定すべからざる事實である。古峡氏は淺野氏が催眠術を知らずして鎭魂は催眠術に非ずと云って見た所で何等権威もないと云はれるが、それなら問はう、氏自身は何らの鎭魂の内的經驗をもたずして鎭魂は催眠術の一種なりと書いたとてどれだけの権威があるのだ。

※注( )内は誤植と思われる箇所を記入しました。
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小倉七美は谷口雅春先生のペンネ-ムです。

前年度九月に綾部の大本に訪問されておられています、その時に中村古峡氏と同席されています。その件については『彗星』『神靈界』に記載されておられます。