「そのころ変態心理学者中村古峡氏が大本教を訪問して研究し、鎮魂によって出て来る憑依は、すでに憑依霊がついているかのごとき調子で問う言葉を使うからそれが暗示となって、人格の分裂を起こし、二重人格現象を起こすのであって、決して憑依霊がつくのではないという批評を雑誌『変態心理』に発表したのであった。

 最初わたしの研究でも確かに暗示に誘導されて、憑依現象を起こすと認むるべき者もあった。わたしもいろいろ心霊療法を研究したあげくだったので、十分の注意と観察とでその現象の正体を突きとめようとした。現象を観察しているうちに言葉の暗示ではない現象をわたしは発見したのだった。

 

《頭注版『生命の實相』第19巻((新編だと32巻)自傳篇135頁)》

 

 

 この雑誌を求めて昨日(1/25)は関大総合図書館に通った。『憑依霊』についての詳細は知らない。勿論、単純なことは知っていても、それを掘り下げて研究したりすることはなかった。中村古峡氏が大正七年九月に何泊かして、『變態心理』で発表することを旨に綾部に訪問して調査するために参加している。その対応したのが淺野和三郎氏であった。

そこで三箇条の質問を携えて要望してきた。

①鎮魂式に参列したきこと。

②敎祖の神懸り状態を拝見したきこと。

③所謂『お筆先』に現れたる経典を、許される限り、直筆のままにて拝見したきこと。

①は快諾

②長く滞在しているうちに機会があるだろう

③これは絶対的に拒否された

 

しかし、詳細は後に譲るとして、谷口雅春先生が「心霊現象」についてその当時の学説など随分と讀みこまれたことが『彗星』誌の主管岡田建文氏が書いている。そうであるならば、「もし」という言葉が許されるならば、中村氏が当時の「谷口雅春先生」にお会いすれば少しはかわっていたのかも知れない。そのような事を思いながら、今後心靈學などの分野でも関わっていけるようにしたい。今回は深い所までは考えないで所感だけ宣べさせていただく。

 

 その訪問して研究され推敲されて大正八年七月號『變態心理』の「大本教の迷信を論ず」に於いて発表された。だが、その内容は相手を「馬鹿」と罵り、迷信として一刀両断である。

『神憑り状態』など説明はしているが、「大本教」を低次元に見ている為、何しろ駁論である。

 

 ただ、冷静に見れば、『變態心理』記載されている文章のなかでも、疑わしいものがある。神癒とかの記載でも、大本教と変わらない内容もあったが、今回の主旨と違うのでざっと読んだだけである。

 

 大本教というのが予想以上に浅薄で且つ無稽なのに失望して帰京した。と書いているがこの『變態心理』の記載された内容が『大本教の解剖』として本に出る。

 

 出口王仁三郎氏は『神憑り』的な要素もあり、人格的には中々面白い。この『大本教の解剖』を最初に見たのが「大本資料室」であったから、反対に大本教の度量が大きいので驚いた。

 

 鎮魂帰神や憑依など今後研究として考えなければならない項目であることは間違いない。そこから「生長の家」に及ぼした影響というのは計り知れない。

 また、この『變態心理』雑誌が何回か「大本教批判」というのを繰返すが、それが「第一次大本事件」に影響を与えたことは間違いない。

IMG_3650
IMG_3651
IMG_3652