下記は北尾巳代次先生の『神様が見てござる』からの文章です。

10編  葉公と共産党

 

  田中忠雄先生の文章の中に、こんな話があります。昔シナに葉公(ようこう)という男がありまして、竜が好きで、沢山な竜の置物や掛図を並べて、朝から晩まで。それを眺めて悦んでいたのです。すると天上にいる本物の竜がそれを観て、彼奴はよほど、俺が好きと見える。それなら、俺の本当の姿を見せてやれば、きっと咽喉を鳴らして喜ぶであろうと、ある日天上から降りて来たのであります。

 

しかし何せ、本物の竜が降りて来たのですから一大雷鳴と暴風の吹き荒れる中を、ガラガラピシャンと、葉公の庭さきに、その姿を現わしたのであります。葉公はもう恐くて恐くて身体をブルブル顫わせて、終いに気絶してしまった。というのであります。

 

  今、日本人は戦後の誤った教育の結果、自己の責任を自覚することなく、自民党の失政を口実にして、共産党に投票ささえすれば、自分の給料は2倍にも3倍にも上り、物価は、そのままか、あるいは半分位に引き下げられ、税金は松下幸之助一人が払ってくれ、国防費は全部福祉に振り替えられるなんて、まるで3歳の童子すら考えられぬ思考で行動をしている人間が余りにも多いのであります。

 

 彼等は竜のオモチャを見て喜んでいた葉公と同じで、共産党の実体を識らず、ただ表面のよい言葉に惑わされて、この平和な世界一恵まれた日本の国土を、あのソ連のノーベル文学賞を受賞したソルジェニ―ツインの書いている「収容所列島」に売り渡たそうとしているのであります。

 

  共産党が如何に美辞麗句を並べようが、共産党政治がいかに残忍であり、恐怖すべきものであるかは、このソルジェニーチインの文によって明らかであります。ソ連が彼を殺さなかったのは、彼が世界的な文学者であり、全世界の世論に屈したからなのです。

 

  皆さんの記憶にあると思いますが、中共では最近、今日の中共を築き上げた恩人の林彪を処刑しましたですね。彼は毛沢東の政治を批判し秘かに、ソ連に逃れようとしたそうですが、その時間や場所を密告して、政府に捕えしめたのは、林彪の実の娘であった事が明らかにされて彼女もまた、その同志によって殺されてしまいました。この様に、親子、兄弟が互いに密告によって殺し合うような政治の実体を皆様に想像できますか。共産党の恐怖政治の一端をのぞかせたものでありまして、この世界では人間を信ずる心が失われてしまうのです。

 

 現在の日本でも人間と人間とが互いに憎しみ合い、傷つけ合う世界に転落しつつありますが、共産党の治下にあっては、もはやこんなものの比ではないのです。私たちは葉公のように本物の共産党の政治を経験して目を回す前に、お互いに自己の責任を自覚して、真の政治家を選ぼうじゃありませんか。

 

子路第十三 18 葉公語孔子章

葉公語孔子曰。吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之。孔子曰。吾黨之直者異於是。父爲子隱。子爲父隱。直在其中矣。

◎葉公が得意らしく先師に話した。――

「私の地方に、感心な正直者がおりまして、その男の父が、どこからか羊が迷いこんで来たのを、そのまま自分のものにしていましたところ、かくさずそのあかしを立てたのでございます」

すると、先師がいわれた。――

「私の地方の正直者は、それとは全く趣がちがっております。父は子のためにその罪をかくしてやりますし、子は父のためにその罪をかくしてやるのでございます。私は、そういうところにこそ、人間のほんとうの正直さというものがあるのではないかと存じます」(下村湖人『現代訳論語』)

 

 谷口雅春先生は日中国交回復の時はその当時の政府にどれほどの批判をされたか、御存知の方は少ない。(『やまと新聞』から抜粋)

昭和4738

「農民の愛郷心を利用する革命戦略」今や自民党分裂崩壊の危機迫る。天皇を最大の戦犯者として告発する如き言辞を弄する中共政府に自民党の代議士が三拝九拝して賛辞を呈して朝貢し、僅かの貿易による物質的利益を得んとするに汲々たるも、かくの如き代議士を除名する勇気も無く、一方に於いて紅毛碧眼の外人の航空機乗り入れに便ならしめるために、国土を愛する農民から土地を召し上げるために血を流す暴挙に出て農民の自民党への信頼を失いつつある。

 

昭和47322

「中国と称する不思議な国」愛知外務大臣は「中国と日本とはまだ交戦中だと中共政府は考えている」と国会で答弁したが、“中国”とは果して何処の国のことであるか。“中国”と国号をつけた国は漠然とした抽象国であって実際には存在しない。日本が戦争したのは蒋介石政権の中華民国である。戦争終了後四年二か月後に建国された中華人民共和国と日本とが交戦中である筈はないから、中華人民共和国と講和条約を結ぶなどということは凡そナンセンスである。未だ国交したことなき新興国であるから国交回復というべきではなく国交開始というべきである。

 

昭和47426

「湯槽に浸りながらふと想う」ちかごろ八十歳を二、三年超えた親しい人が次から次へと病気もなく他界して行かれるので私は淋しい気がするのである。なんとか長寿の道を知らしてあげたいと思うけれども、現代の世界は公害に満ちているのである。よもや、そんな事を思うと却ってこの世界から旅立って行く人の方が羨ましい気さえする時がある。