現在の新編『生命の實相』でもそうであるが、頭注版『生命の實相』、愛蔵版『生命の實相』でも同じであるが、戦前とは細かく変更されていることを知っている人は少ない。戦後GHQ占領期間に発行された『生命の實相』はGHQの検閲を免れるために、言葉を少しづつ変更をしている。だが、多くは『生命の實相』神道篇ばかりが目立つが、それ以外にも沢山あることを是非とも知っていただきたい。ただ、本当に時間の掛かる事で100頁進むのに3日はかかるのです。

上下に黑布版『生命の實相』と新修普及版『生命の實相』を上下に並べて、指を準えてみていく。変更があれば『パソコン』に打ち込むという地道な作業である。目が二重に重なってどちらを見ているのかわからなくなる。年のせいにはしたくはないが、想像以上に大変である。「谷口雅春先生」は戦後そうした検閲を逃れるために言葉を変えていく、そのような苦労を想うとどうしようもない位、なにかしら叫びたくなる。

 

戦前の黑布表紙版『生命の實相』も全部ではないがなんとか目途もたち、作業を進めている。だが、そんな事に興味もなく『生命の實相』を讀もうというのは、有難さが少ない。

西行法師の

「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」

 

“亀の子”さんが書いている。同じような気持である。

 前回、『生命の實相』の「削除濟」の写真を紹介したが、見ている内に涙が溢れそうになった。谷口雅春先生におかれては、どのようなお気持ちだっただろうかと思った時に溢れた涙であった。書きたくても書けない、言いたくても言えない、そのような辛い思いは、いかばかりだったのであろうか。“『生命の實相』を求めて”の続きを書こうとの思いがすぐには書けなくなってしまった。

 

何か月前から、戦前の内務省警保局の所謂「検閲」をどうしても纏めておこうとあっちこっちと調べたが、「淫祠邪教」については参考資料が少ない、中途半端になっていた。

 

何をどのように調べていいのか、わからない。困って思案もなく途方にくれていた。

第一段階を昭和10年とするとそれ以降の時代背景が理解出来ていない。

戦前の黑布表紙版『生命の實相』の異同を調査するために、大阪商業大学図書館に行った時に、谷口雅春先生の色々な戦前の『谷口雅春著作集』というのが6冊程、棚に並んでいた。その横に奇蹟というべき資料の発見というのがあった。

それが前にこのブログで発表した『新興類似宗教批判』である。これで、第二段階の昭和10年から14年までの社会状況を把握出来た。勿論、多少は理解していたが、資料が少なかったので、「生長の家」教化団体の時代に類似宗教と呼ばれて残念ながら一部の人に批判を受けていたことも事実である。その批判というのが時代を追って説明が出来る。

 

次に「昭和14年~昭和18年」頃の第三段階の「宗教結社」としての「生長の家」である。これを把握出来ないと、検閲というのが解らない。

 

或る方から資料の依頼があった。それが『新宗教とエスノセントリズム―生長の家の日本中心主義の変遷をめぐって―』寺田喜朗著 この本は東洋学研究所発行の本である。

調べると自宅の近くにある「関西大学」が全巻を所有している。そこで関西大学図書館でそれを複写して調べていると同じ45号に『信教自由に対する宗敎団体法施行の影響』小島伸之著(上越教育大学教授)があった。宗教団体法における取締の数字など書き込みがされていた。参照するには時期も内容も奇蹟的な出会いである。

 

最近は嫌な事もあったが、自分がそんな顔をしていたら笑われる。「亀の子」さんを見習わなければならない。