『生命の實相』を讀んでゐて、今の現状をどのように解釈するのであろうか、谷口雅春先生が『「生長の家」に入信すれば、互に爭うことなく全てが圓満にて治まる』。そうした言葉が現今では「嘘」であったのかと思える。「生長の家」に入信して『生命の實相』を讀まれ、講師や教化部長にもなられた御仁も「学ぶ会」には沢山おられる。また教団在職の教化部長や講師の面々はどうして『生命の實相』を讀もうとされないのか不思議である。

 それは『生命の實相』に書いてあるだけで済まそうとしている。恥ずかしくないのか。どうして谷口雅春先生の御言葉が分らないのか。それとも理解しようとしていないのか。どちらかわからないが、「生長の家」が「争いの家」となって幾年か経つ。『総裁に中心帰一せよ』など雅春先生は被仰られたことなどない。「皆さんが敎祖である」という言葉が『生命の實相』に書いている。確かに、相手から嗾けられる喧嘩があれば、どうするのだという問いもあるだろうが、歪んだ思想には対峙しても、憎しみを持ったり、恨みを持つようなことでは、其の人と同格となる。常に相手を拜むことも必要となる。憎しみだけで、いくら神想觀しても「神の心にかなわぬ」である。

 

 私にコメントいただいた、市川守さんはこれから数年にかけて『生命の實相』の読書会を催しされる。實に立派な心掛けです。私も見習いたい。

 同じく『生命の實相』を貴方は何囘読まれましたという谷口雅春先生の問いに皆さんだったら、五回、六回と応えられるであろうが、私はまだ二回しかない。谷口雅春先生の前では恥ずかしい。五回とか六回とか発言される方はやはり先頭に立ち、光明化運動の御旗の狼煙を起てなければ、本当に『生命の實相』を讀んだのか疑問である。茶坊主になっては駄目である、御神宣でも駄目である。しっかりと『生命の實相』を主として述べることが大切である。