淫祠邪教撲滅指令
昭和10年代から黑布表紙版『生命の實相』の初版発行から、それ以降に『生命の實相』に対する内務省警保局からの検閲は次第にその厳しさを増していきます。その時代の経緯を辿るとどうして検閲に対して厳しさが増してきたのかがわかります。まずは最初に第二次大本事件の年代からみてみたい。

 

昭和10128日 治安維持法を適用して出口王仁三郎夫妻以下全国において3000名近い人が検挙

昭和101216日 天理教の脱税事件

昭和112月ころ 宗教警察に関する事務を特高課(内務省では警保局保安課)に移管し、全国的に事務系統の整備統一をはかり、宗教活動にたいする視察取締を厳にするとともに、諸宗教の教義所説を思想警察的観点から再検討

昭和11213日 天津教(教主竹内巨麿)の不敬事件

昭和11322日 元大本信者の矢野祐太郎が主宰する神政竜神会の不敬事件

昭和116月    全国警察部長会議では「邪教取締」が指示

昭和11826日 元皇后宮職女官長島津はるが神政竜神会の熱心な信者であったため帝都の邪教事件として不敬事件で検挙

昭和11928日 ひとのみち教団(教祖御木徳一)が検挙される

昭和11930日「淫詞邪教を撲滅の指令」(朝日新聞朝刊一面)

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昭和11218日発行の『新興類似宗敎批判』(佛敎社會學院編)大東出版刊では「ひとの道」とともに「生長の家」が矢面で批判の対象となっている。下記の文書は当時の佛敎社會學院主幹 淺野研眞という人の文章であるが、当時の状況を踏まえてみることも、肝心である。

【二 新興類似宗敎簇生の諸原因  2975行目 「ひとのみち」とか、或は「生長の家」とか、其他色々澤山、所謂類似宗敎と云ふものが出來つゝある。甚だ貧弱な見すぼらしいものもあるが、堂々となったのが近代的宣傳方法を利用して、多くの民衆を引附けつゝある處のものもある。「人の道」や「生長の家」は、其の最も華かに、今日の社會にデビュ-して居る處のものであると思ふ。で、かう云ふものが發生簇出しつゝあると云ふ理由は、第一には社會經濟的基礎である。先づ茲に、今日の醫療の方が安上りか、類似宗敎が安上りかと云ふに、是は見樣に依っては高くもあり、安くもある。僅かな賽錢を上げて治ると云ふ安いものもあるが、「天理敎」等は「屋敷を拂って立ちのき給へ!」と云ふから、是は随分高いものだ。しかし類似宗敎は現象形態として見れば、矢張り安上りに見える。其處に社會經濟的基礎がある。つまり安いと云ふことは、今日の民衆生活と云ふものが、醫療に充分費用を掛けることが出来ない。このことが一つの大きな理由である。是は政策的に云ふならば、今日の醫療機關が充分民衆化して居ない。社會化して居ないと云ふことに理由がある。で、是は必ずしも類似宗敎に迷ふ者を責むることが出來ないのであって、國家が醫療を如何なる者にも、如何なる貧乏人にも完全に受けることが出來るようにすると云ふ、國家の政策的見地から考究しなければならないと思ふ。例へば内務省衛生局の統計に依れば、全國に、醫者も婆も居ない町村が、實に一萬三千五百以上もあると云ふ。かう云ふ事實を見る時、又現に私共が農村を見る時、急病人が出來ても、十里も十五里も行かないと醫者に診て貰ふことが出來ない。そして飛脚を立てゝ醫者を呼んだとしても、醫者が來た時分に病人は死んで居たと云ふことがまゝある。かう云ふことになると、どうしてもお祈禱にるやうになる。一般大衆は、近代醫學が如何に發達してゐても其恩惠に浴することが出來ない。然も愚昧なる民衆は、どうしても祈禱と云ふやうなものに對して、非常な賴するにはり信賴を持つ。其處に邪敎、インチキ宗敎が充分に手を伸ばす社會經濟的基礎がある。是は今日の狀態が續く限りに於て、どうしても、この邪敎、インチキ宗敎は、いくら蔓延して行くであらうと思ふ。(中略)29910行目から 最近の「生長の家」などが、治病の外に、就職を説き、また物欲卽滿を説いたりして盛んに目前の現世利益を高調して、人心を引きつけて居るのを以てみても、ハッキリすると思ふ。從って、矢張り徹底的にインチキ宗敎が社會から姿を消すようにするには、社會の根本的改造が必要である】

 

 このように、当時の社会的な一面として、仏教界からの虞れというのを感じてしまう。それは当時の類似宗敎と呼ばれた宗敎の勃興であろう。

 

 大正156月社会敎育協会の調査では類似宗敎団体の登録は98団体、昭和5年の調査に於ては416団体と擡頭してきた。そうした宗敎のなかにはいかがわしいものがあった。前述のような宗敎にまつわる事件が続くと内務省警保局の取締りの強化がなされてくる。

 また、当時の日本医師会から邪教的行為取締に関し建議案というのまで提出されようとしていた。

 

 何故、「生長の家」が「類似宗敎」「インチキ宗敎」として一部の人に云われたのかといいますと、『新興類似宗敎批判』の302頁にある「新興類似宗敎のインチキ性」と題して、「生長の家」を標的に書いているが、その要点は「新聞に大広告」を掲載したのが気に入らないようである。「本さへ讀めば病氣が癒る」というのを頭から信じて居ないから、全く話の論点が噛み合わない。当時、確かに多くの「奇蹟」と呼ばれる治癒体験というのが続出したのも事実である。それを科学的に論破してこそ、その人の価値というのがあるが、頭ごなしであるから論点があわない。(朝日新聞広告に関しては拙著『谷口雅春先生著作年譜一覧表』中(増補版)参照)

 

しかし、上記の文章は今日では差別的用語があり、人を頭ごなしにしている文章であるので、どれだけこの本で人々は信じたかはわからないが、前述のような不敬事件が勃発すると警察としては立ち上がるしかない。「第二次大本事件」のようにする警察がこの世に「大本」が無くなるまで、建物を木っ端微塵までするという、憎悪に満ちた取締りというのが、特高のイメ-ジを悪くしていくのです。また、宗敎という取締りをそういう憎悪に満ちた觀念というのがこの時代に長く続いたように思われる。

 

「大本事件」では治安維持法ということで検挙したが、それが様々な事件を惹き起こすことになったのは、以降の事件というのは「治安維持法」とは関連はない。

 

「淫詞邪教を撲滅の指令」というのがこうした背景で生まれた。

既成宗教が無気力であること

大衆の生活不安と思想混迷

醫療制度の不徹底

宗教復興精神作興の聲を利用

 

当時の「淫祠邪教」の罪というのは法律では当時の「警察犯處罰令」の第二条 左の各號の一つに該當する者は三十日未滿の拘留又は二十圓未滿の科料に處す

十六 人を誑惑せしむへき流言浮説又は虛報を爲したる者

十七 妄に吉凶禍福を説き又は祈禱、符呪等を爲し又は守札類を授與して人を惑はしたる者

十八 病者に對し禁壓、祈禱、符呪等を爲し又は神符、神水等を與へ醫療を妨けたる者

上記がつまり「安寧秩序妨害」であるという。その項目が

    医療妨害的布教活動

    風俗壊乱的布教言動

    人心誑惑言説

となるのです。こうして強引ともいえる諸法で取り締まった。

生長の家の著作で検閲対象となる文章の多くは上記の安寧妨害という罪に該当する。

 

黑布表紙版『生命の實相』は昭和10年度に発行されたかどうか第1巻~第12巻、昭和12年度に発行された第13巻~15巻、そして昭和16年度に発行された第16巻~20巻はその時代における「宗敎」の取締り強化があり、昭和12年はまだ「生長の家」は教化団体であり、宗敎とは名乗っていなかったが、上述のように「淫祠邪教」のひとつとして捉えられていた為に「検閲対象」であります。「検挙」の対象として当時では集会や講演会などに「特高」(内務省警保局)が何か「生長の家」の信徒が間違ったことを言わないかを常に監視していたのです。

 

今回はそういう検閲対象となる文章を詳細に分析しております。