市岡高校には私はどういうわけか行っていなかった。今回は地下鉄を乗り継いで市岡高校に行ったが、いつかは、西九条駅から大阪市立蘆分尋常小学校付近に渡船乗り場があったそこを乗船して安治川を渡りそこから、田んぼ道を経由して市岡尋常中学に行かれていた所へゆっくりと歩いてみたい。市岡高校付近は弁天町駅からも近くにあり、谷口雅春先生の自叙伝では田んぼが広がった地域であることが想像出来ます。大阪地場野菜の『市岡すいか』の産地として有名であった。元々、江戸時代の1698年頃に市岡新田として開発され、海であったこの場所を開拓された土地ですので、ほとんど高低差のない地域です。(1

  市岡すいかは種まで真っ赤といわれたほど有名であり、谷口雅春先生の時代は市岡尋常中学校付近はまわりがすいか畑の所にポッツンと建っていた。

  だが、現在では付近は道路の交差点や高層マンションが林立して、昔の面影など皆無である。
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大阪湾口の新田開発は、江戸時代から行なわれていたが、とくに元禄ごろから盛んになった。市岡新田は、元禄11年(1698)市岡与左衛門らによって干拓され、湾内では最大規模のものであった。