谷口雅春先生の戦前の書物には検閲を逃れるために色々な対策を講じられてきた。

戦前の検閲対象には「安寧妨害」とする検閲があった。それは

【教説を妄信するの結果或いは医療を妨害し、又は人心を誑惑する等の虞ある言説を弄し、更に又教勢を誇称せんとして畏くも皇室皇族の御事に言及する等のことある等注目すべき事象をも見つつある実情なり。】

やはり教説の妄信というのは「病気は無い」などというのは医療妨害にあたるということである。

   医療妨害的布教活動

   風俗壊乱的布教言動

   人心誑惑言説

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 『生命の實相』黑布表紙版 第十六巻の切取り(削除)

このような観点からみていくと『超宗教を建つるまで』という谷口雅春先生の御著書の伏字というのが検閲対象であることが理解出来る。

この数か月比較ばかりを行っているので、推定だが怪しいところがありました。

『超宗教を建つるまで』408頁の5行目~8行目です。文字を消しているのです。「----------------」こうした形になると『生命の實相』でもそうでしたが、次回発行する時にはこのような形式で修正を対処したりします。

この部分を讀んでみても理解出来ないのです。發行間近に指摘されて、慌てて活版の一部をこうした形に組替えたのではないか。通常考えられない事ですので余程慌てて発行されたのであることが理解出来る。伏字には通常「〓」ゲタと呼ばれる書法が使用されるが、字數やその他問題があったのであろう。

 

さて、その「伏字」も反対に今では読めます。『生長の家三十年史』二十八頁、『神の真義とその理解』115頁・116頁にその伏字された文字が

「どうも医学上からは自然分娩は頗る難しいとせられています。」

「医学上からはそう診断されておったのですが」

上記の文字が検閲にひかかった。

例えば、検閲している状況では、既に印刷されてしまった場合には「切取り」つまり頁をハサミで切取る作業です。

今回の『超宗教を建つるまで』では378頁で終了していますが、附の前の部分でそのように切り取った跡がみられます。

また。印刷前であると、今回の伏字とかで検閲を逃れる方法をとったり、余裕があれば、頁ごとや、その部分を別の言葉に入替たりしています。

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『超宗教を建つるまで』408

 

 今回は「医学上」というのはまさしく、「医療妨害的布教活動」にあたるのであります。生長の家教団は谷口雅春先生の著作としては三度の検閲や禁書というのを体験する。

① 戦前の検閲

② 戦後GHQの検閲

③ 谷口雅宣氏による発禁

 

あまりにも残酷なことである。こんな状態で平気で「谷口雅春先生」という言葉を云えるものである。慟哭で胸が張りけそうである。

 

 今回は戦前の黑布表紙版『生命の實相』における検閲とその対処を比較検討してきた。嫌になる程検閲されている。今回ブログで発表したかったが、一部の人を除き、あまりにも関心がない。それなら本を出版して発表しようと考えが変わって来た。またアマゾン出版の予定で、残念なことがある。それはA4サイズでの頁数の制限である。色々調べると、頁数が膨大となる。現在上下で700頁を予定しているが、このまま進むと800頁を超えてしまう。如何に項目で削除するのかを考えていきたい。A4309ペ-ジまでです。

 

 800頁を超えてしまうというのは、戦前と戦後の比較では既に70頁です。黑布表紙版の比較ではプラス30頁です。現在の構成している頁数は700頁です.

 

 どうにか、いろいろな分野で「谷口雅春先生」という巨大な哲學や宗教そして倫理学など様々な分野に於いて博識であり、最も尊崇に値する人物である。それを知らしていかなければならない。

 その尊崇する人物に対する教団の尊師に対する仕打ちというのか、自分で自分の首を絞めるような遣り方にどうしようもない歎きが出て来る。

 

「谷口雅春先生に帰りましょう」でコスモスさんは激しく訴えておられる。それに賛意する人は少ない。でも叫び続けなければならない。このような愛国者を増やしていかなければならない。

 

合掌 有難うございます。

 

 雅宜総裁の真の目的は、祖父でもある谷口雅春先生の創始された生長の家そのものを、この世から抹殺する事であるとすれば、

 

 今回の運動方針は大成功なのでしょう。何故ならますます信徒が離れて行く事、イコール限りなく縮小して行く宗教団体生長の家。

 

 それ程の思いならまず総裁が、生長の家なるものから離れて行けばよいものを、権力だけは欲しい、宗教団体生長の家が有する資産を利用して、

 

 自分の思うように運営して、政治結社、環境団体に変えたい思いがあるからではありませんか。

 

 一言で言えば、「卑怯」そのものです。この上ない腹黒でもあります。その結果はいずれ、顕れて来るでありしょう。