最近の別のブログを見ていても、ガックリするばかりである。人の批判やどこかの野党の切れ端をとった「安倍政権批判」には、こんな人には自分の意見というのがないのかである。

 何か根拠のない類の論拠を集めて書いている。その発信元や何時にデータを書き込んだのか、その人に許可をもらったのかは何もない。悪いが三面週刊誌より質が悪い。

 

 また、雅春先生の言葉を引用するのはいいが、何処の書物なのかを記入していない。例えば「やまと新聞」の何年何月のものかを記入しなければ価値がない。だから、私はまだ記入していないが全てを調べた。また、その引用元も調べた。そうでないと折角書き上げても「価値がない」その為に、資料を作成するには時間もかかるし、その根拠を調べなければ「自己満足」になってしまう。それでは、単なる個人見解で了ってしまう。誰が当時の「やまと新聞」の担当であったかも聞いている。

 

 ブログで安直な個人見解など書かないでほしい、犬の遠吠えしかない。具体的論点を調べるのに時間も必要だし、それを論破する材料も必要である。人が見て「なるほど」と思わせる文章を書いて欲しい。

 

 また安易な「和解論」に辟易である。それならば、自らが行うことに徹すればいいだけである。何もしないでの平和論に似ていて、このての「和解論」にウンザリである。

 

 

 今、大嘗宮の儀が執り行われています。日本国にとって大切な日であります。

上皇は歴代天皇の中でとりわけ後奈良天皇が執筆した「紺紙金泥般若心経」をみて「たいへんだったんだよね」という言葉が身につまされる。

 

『慈悲深く、天文9年(1540年)6月、疾病終息を発願して自ら書いた『般若心経』の奥書には「今茲天下大疾万民多於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉。窃写般若心経一巻於金字、(中略)庶幾為疾病之妙薬 (大意:このたび起きた大病で大変な数の人々が亡くなってしまった。人々の父母であろうとしても自分の徳ではそれができない。大いに心が痛む。密かに金字で般若心経を写した。(略)これが人々に幾ばくかでも疫病の妙薬になってくれればと切に願っている。)』との悲痛な自省の言を添えている。(ウィキペディア人物より抜粋)