下記のような投稿があった。私は確かに生長の家では「水子」とは呼んでゐない。だが、通常「水子」と呼んでいる信徒も多い。生長の家を長年知っているが、いつの間にか「流産児」と私も呼ぶようになったが、それでも「水子」と呼んでいてもいっこうに構わなかった。

それは兎も角として、下記の文章で私が嫌だなと思った箇所があります。

 

水子(みずこ)は、生まれてあまり日のたたない子、あかごのこと。また、胎児、特に流産または人工妊娠中絶により死亡した胎児のことを指す。泡子とも。水子という呼び名は、生まれて間もなく海に流された日本神話の神・水蛭子より転じたものとされる。

 

谷口雅春先生が、流産児、その霊を含めて、童子と呼ばれたことから、生長の家信徒は、それに倣い、講師並びに信徒も、水子と呼ぶことはない。淡いイメージがあるからだろうか。

 

教えを知らずに後の媒体や呼称に影響される時代なのだろうか。

 

尊師が神上がられてより、はや、30年以上の歳月が経つ。

 

“教えを知らずに後の媒体や呼称に影響される時代”という言葉です。確かに私たちでも知らないことも多く有ります。それを捉えて「教えを知らず」と云われれば元も子もない。

 

 現在は或る方から教えを乞うている。それは“生長の家”は私よりは短いが結構勉強になることが多い。それもこれも、私が知らない事が多すぎるからである。

 

 そういえば私も先日、このブログで間違えてしまった。お恥ずかしい限りである。だが、私はそれでも言い訳をすると「多分、相当の知識はあると自負しております。」

しかし、私の場合はそれを研究している立場なので、知っていて当り前なのです。だが、知らない人でも、それもやむを得ないという立場を採っております。反対に知らない人から教えていただくことも多くあります。少しの間違いでも、大きく指摘するようなことをしてはいけない。

 最近の事だが、『谷口雅春先生著作年譜一覧表』で間違いを指摘された。年譜の時代の間違いである。その部分は「生長の家」教団の平成30年史を参考にした部分があった。

○昭和59年…「日本を守る国民会議」脱退

 

※愛国運動からの事実上の撤退!谷口雅春先生はその前身である「日本を守る会」の結成において「生長の家の一つや二つ潰れてもかまわない」とまで仰いました。生長の家は祖国・日本のためにこそあるとの尊師のご覚悟を垣間見る思いが致します。

 

この部分が間違っていた。

 

昭和60918日 常任理事会の審議にて「日本を守る国民会議」脱退決定(愛国運動からの事実上の撤退)920日付にて通達

 

上記が正式なことである。だが、誰だって間違いがあるので止むを得ないと思っています。以前に学ぶ誌で間違いを指摘したことがあったが、修正すればいいだけの事である。