先日、「亀の子」様から紹介して戴きました。谷口雅春先生の御寄稿された文章です。
【昭和四十八年四月號『生長の家』誌の「言の林」佐藤通次氏文章に谷口雅春先生のお名前を見いだしました。
そこ(一行目から)には以下の様に記されておりました。
<『人間醫学』といふ雑誌の本年正月號で谷口雅春先生の『米食(べいしょく)と日本人』といふ御文章を読み、會心の思ひをなしたので、それに因んで稻作農業と日本國との深い繋がりを、言語の上から、また上つ代の尊貴な方々のお名前により、探ってみることにする。>】
谷口雅春先生は様々な雑誌や本などに寄稿されたりしておられます。その一つ一つが私たちに大切な指標を与えていただいております。今回の『米食と日本人』にしてもこれを読めば「米食」の素晴らしさと先祖代々から受け継ぐ「主食」としての大切な食べ物を感ぜられる。
私は今回『人間医学』という最新号を購入して読んでみまして、昔は「みみず」を漢方として服していたことが書いてあるのに、昔はそうした漢方や生薬といえば「ゲンノショウコ」「ガシュツ」「黄柏」「カンゾウ」「マオウ」「人参」「葛根」「ウコン」等々
また昔は「ミミズ」を乾燥させ潰したりして、発熱や気管支炎の藥として用いられていました。マムシでも「藥」として重宝されています。鹿の角でもそうですが、どれが藥になるかは昔伝来の知恵というのがあるように思います。
元禄6年(1693年)、徳川光圀は侍医の穂積甫庵(鈴木宗與)に命じて、身近な薬草397種の効能・使用法を記した手引書を作らせ、領民に配布しました。それが、わが国最初の家庭医学書と言われる『救民妙薬』です。
救民妙藥
大君予に命すらく山野
貧賤の地には醫もなく
藥もなし下民病て臥
時は自治するを待不レ治者或
死或癈人となる是皆非
命なり求やすき單方
を集て是にあたへ是を
すくへと予謹承レ命其病
其處に求め易き藥方
三百九十七方編集して
救民妙藥と名つけて
深山野居の者に與レ之
庶幾濟民の一助ならんか
元禄癸酉歳
常陽水戸府醫士
穗積氏甫庵宗與撰
原文には振り仮名のついている漢字があります。振り仮名を括弧に入れて示したものを次に掲げます。
(振り仮名には濁点がついています。)
救民(きうみん)妙藥(みやうやく)
大君(たいくん)予(よ)に命(めい)すらく山野貧賤(ひんせん)の地(ち)には醫(い)もなく藥(くすり)もなし下民(かみん)病(やん)て臥(ふす)時(とき)は自(をのづから)治(ぢ)するを待(まち)不レ治者(ぢせざるもの)或(あるいは)死(しゝ)或(あるいは)癈人(はいじん)となる是皆(これみな)非(ひ)命(めい)なり求(もとめ)やすき單方(たんほう)を集(あつめ)て是(これ)にあたへ是(これ)を
すくへと予謹(つゝしんで)承レ命(めいをうけたまはつて)其病(そのやまひ)其處(そのところ)に求(もと)め易(やす)き藥方(やくほう)三百九十七方編集(へんしう)して救民妙藥(きうみんみやうやく)と名(な)つけて 深山(しんざん)野居(やきよ)の者(もの)に與レ之(これをあたへ) 庶幾(こいねがはくは)濟民(さいみん)の一助(じよ)ならんか
元禄癸酉歳
常陽水戸府醫士
穗積氏甫庵宗與撰
最近は『徳川光圀』に関することで、契沖の書いた『万葉集代匠記』など触れる機会が多い。
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