今回の出版予定の本を校正や校閲とかを行ないながら、疑問が生ずることが多くある。その一つが、

例えば『生命の實相』に関して何故もう少し早く調査しなかったのであろうかである。

!調査?

と思われるのは当然である。

『生命の實相』は変わっていないというのは容易い。しかし、それは間違いである。

また、戦前と戦後の違いであるという人もいるだろう。

それも、多くは判明しているのである。しかし、それならば何が疑問かというと

①『生命の實相』での編輯されている部分が未だに謎のある箇所がある。とりわけて昭和1418年に出版されている黑布版『生命の實相』である。ほぼ間違いなく検閲を想定しての削除が行われている。明らかに頁数が違うのである。間違いなく限定本5000部として出版されているのであろう。先日も人造羊皮版での違いもわかったこともある。その検閲と言うべきか、自主的に削除したのかはわからない。

そんなものを調べて何になるのだ。という人も当然いるであろう。しかし、こういうことを今迄何故調べなかったのかという疑問というのが当然の心境だと思っている。

 

戦前での出版にあたり、『生命の實相』は本当に苦労していたことを今回の本では書かせて戴いている。内務省警保局による弾圧、GHQによる弾圧と二重三重の苦心がこの『生命の實相』にあるのである。云うに云われぬ苦心の跡が『生命の實相』の中から私は垣間見る。   

ある一部の人は「この章立てがおかしんだ」という人がいるのは知っている。しかし、其の人に問いたい。貴方は『生命の實相』を隈なく、隅々まで見て発言されているのですか?

どのように、今迄に章立てして、検閲されて、削除して、検閲を除外されるために苦心されているのが、どの箇所か御存知かと問いたい。たぶん、何も知らないから反対にそういう発言をされるのである。今回、私は完全ではないが、隅々まで『生命の實相』というのを見てきた。それでもわからない部分がある。それは私の勉強不足である。

 

本来はこういう作業は「温故資料館」で行うのが正式な作業であるが、その本来行うことが出来ていない、レファレンスなどの作業などしていないからである。今のシステムならば出来ないであろう。裁判ばかり考えるような人に任せるのは本当といえばおかしい。もう何年も裁判ばかりしている。裁判が終わったら見せるのかといえば、見せないであろう。

 

前にも云ったが、「全国の図書館」や「大学図書館」では雅春先生の著書が見ることが可能です。本の中身を見れないのが「生長の家」教団です。こんな情けないことが世の中にあるものか、憤慨というより、こういう所の所業というのか、発言には気を付けた方がいい。「嘘」が多いのも顕著な事である。

 

宗敎が嘘を平気でつくのは實例を挙げて、このブログで書いたので読んでいただいている人は御存知だと思う、詳細については今迄のブログを読んで欲しい。

 

最近は或る方の疑問に答えられないでいる。本当に私も知らないことが多すぎる。情けなくなり、自暴自棄にすらなる。どこにも回答を問い合わせすることが出来ないので苦心している。誰もその回答を知らないから、誰も聞くことが出来ない。でも私は其の人の爲に「悦んで作業」をすることにしている。内容は後日記入することにします。今日も二カ所程、公立図書館へ行く、その回答を求めて歩むことにします。