生長の家の戦前、戦後の検閲を調べていると、本当にその悔しさが伝わってきます。だが、その真相を知る人は今は少なく、歴史も次第に風化していることを実感しています。

「生長の家」谷口雅春先生は三回の検閲及び禁書をされています。
戦前を一回目の検閲とします。(日本人からの検閲です。)
戦後を二回目はGHQの検閲です。(米国の日本弱体化政策です。)
現在の三回目は谷口雅宣氏の検閲です。「今」進行中の焚書です。


 現在、三番目の検閲が一番厳しい禁書であります。谷口雅春先生の御本を再版未定という絶版をして、検閲された本は谷口雅春先生の発行された90%以上という極めて酷い状況であることをしらなければならない。現信徒はそれを平然としていてはならないのであります。平然とする人はまさしく「フェイク」であり、本当の「生長の家」を信仰しているのではない。

経緯

昭和11930日の朝

朝日新聞における報道では「淫詞邪教を撲滅の指令」ということで「ひとのみち教団」への絞め付けは他宗教に及び、内務省や文部省の弾圧は更に厳しくなる。

その「淫詞邪教」とは

当時の既成宗教に比べて新興宗教の勃興は現世利益を旗印に昭和11年においてはその数は800余に達していた。

その新興宗教の七割から八割は神道系であったのが顕著である、だから生長の家にその矛先が向けられたのも頷ける。それではその新興宗教側から見た状況とは

既成宗教が無気力であること

大衆の生活不安と思想混迷

醫療制度の不徹底

宗教復興精神作興の聲を利用

④の宗教復興精神作興とは大正121110日発布の「國民精神作興に關する勅書」であり

 

関東大震災直後の19231110日に出された詔書で,教育勅語と戊申詔書の流れをひき,当時の社会的・思想的激動にたいして国民精神の振興を呼びかけたもの。〈国民精神作興に関する詔書〉の略称。第1次大戦以降大正デモクラシーの思想が広がり,震災直前には第1次共産党検挙が行われるという動きを,この詔書は〈浮華放縦ノ習〉〈軽佻詭激ノ風〉と激しい語調で非難し,〈質実剛健〉〈醇厚中正〉に立ち返り,国家の興隆を図れと国民を戒めた。

 

こうした聲を利用して「ひとのみち教団」の弾圧を行った。「大本」の場合の“不敬”とは異なります。尚、ひとのみち教団については当初から谷口雅春先生は批判されていました。


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報知新聞 昭和
11101日~3日(関西大学図書館)(朝刊5面)
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報知新聞 昭和111015日夕刊一面
ひとのみち

昭和11930日朝刊11

こうしたことが大きな理由であるが当事の新興宗教の多くは警保局から弾圧を受けるのである。やはり、「ひとのみち事件」からさらに厳しい新興宗教の弾圧がはじまるのでした。

 

 

下記の文章は今回述べた内容ですが

 

平成22年に内務省警保局「社会運動の状況」という資料を窺い知ることが出来ました。そこには宗教弾圧ともいうべきものもあり谷口雅春先生は「近況報告」でその旨を書かれている文面があります。昭和14年あたりから削除済という御著書が見つかります。そのタ-ゲットのような御著書が菊装版『生命の實相』であります。この本には何冊かには「削除済」という印鑑が押されています。その文章が

 

【『生命の實相』第二巻(昭和14625日発行)(菊装版)は内容中に医療妨害、人心惑乱等 安寧を妨害するものありたる為、718日削除処分せられたり。(社会運動の状況昭和14年度版より抜粋)内務省警保局】

 

それでは「内務省警保局」というのはどのように検閲していたのか?

生長の家が東京に進出するあたりから「著作物」を検閲するようになったのですが、昭和10年頃には「皇道大本」が二度目の弾圧を警保局から受けているのです。それは

 昭和10年(1935年)128日、早朝4時。

【綾部と亀岡の大本の神苑は武装した警官隊によって包囲されました。その数は合わせて500人以上もの大部隊です。腕に白布を巻き、白たすきを斜めにかけ、決死の覚悟で神苑内に突入した警官隊は、三代教主補・出口日出麿(37歳)を始め幹部信者を次々と拘束し、警察署に連れていきました。留置された人の数は綾部・亀岡合わせておよそ300人にものぼります。】

 

また「ひとのみち教団」(現PL教団)も内容の違いはあれど世間の厳しさは同様であります。

【昭和11年、特高警察に目をつけられ、不敬罪の名目で開祖とその息子・御木徳近(みきとくちか)は逮捕・投獄される。昭和12年には解散命令がだされ、御木徳一は不幸にも獄中で病死する。】

 

ともに「神道系」宗教であります。

勿論、「天理教」「金光教」もしかりであります。警保局より目を付けられていたのであります。

それでは「生長の家」においてどのような事例があるかというと

 

昭和17116日別府市松屋旅館における座談会の席上誌友藤川スミ(50)は体験談発表に際し「私は子供に対してお前達は飛行機乗りになろうと、大臣になろうと一生懸命勉強して天皇陛下に尽くして下さい。お母さんは如何に勉強して偉くなっても皇后陛下になれないのだからと言っている」云々の言辞を弄したるを以って当時臨席せる警察官において直にその発言を中止せしめ引続き本名を調べたる処、不用意の失言と判明せる為、大分県警察当局において厳戒に止めたり。

資料としては内務省警保局『社会運動の状況』昭和11年~17年に「生長の家」をいかに監視したかの文章が残っています。

 

講習会や講演会や誌友会など様々な監視があったことが記載されています。

 

  • 本書はその題名の示す通り「祕」として久しく伏せられてゐた神示を主として纂めたものである。何故、その公表が憚れて祕せられてゐたかと言ふと、それには國家の運命に關する部分が含まれてゐたために、出版物の検閲の厳しかった戰前に於いては、當時少部數の雜誌に發表されたときに、時の内務省警保局の検閲課から注意があり、若し書籍として発行せられるならば直ちに發禁が明らかであったために、そのまゝ『生命の實相・大聖典』編纂の時にも『聖光錄』編纂の時にも神示の全部を収錄したいと思ひながら、それを差し控えなければならなかったので、その儘伏せられていたものである。中略 戦後の神示にかんし關しては、占領軍の日本弱體化政策として、日本國の神聖性や、天皇の尊厳を説く文章の公表は禁ぜられてゐたし、私自身が執筆追放になってゐて、その種の文書を公表する自由を失ってゐたので、執筆追放以前に發表した神示は少しあるが、その後それをまとめて書籍として發行する自由をもたず、それを祕し置くより仕方がなかったのである。(『秘められたる神示』はしがきより)

 

雅春先生の戦前の書物に“削除済み”という判が押されている本があります。これは内務省という印刷がされているが、「特別高等警察」(特高警察)も内務省の管轄である。治安維持法の実行部隊も内務省である。だから常に印刷出版には“内務省の検閲”があったのである。

そのため事前にそうした検閲にひっかからない書物として出されていたのです。

 

『秘められたる神示』に記入された「豪華版『生命の實相』」などには検閲対象にされる言葉をあえて掲載しなかった。それを出版してしまうと、全てが弾圧を受けるのである。そういうことを把握しないで「生長の家」は語れない。

 

また、戦後において『平和版 生命の實相』の刊行の予定がありました。昭和21年『生長の家』誌12月号の5頁に掲載された「平和版『生命の實相』自費出版会員募集」という記事の中で、《唯今最も入手困難で、最も渇望されている、読んで病いが治り、運命が好転する無数の体験例ある(中略)生長の家聖典「生命の實相」全二十巻を、戦時のみに適せる心構の部分を省き、他は悉く完備せる厳密なる著者自身校訂の永遠定本の聖典を実費にて配本せんとする会です。》

 

『生長の家』誌 昭和22年3月号に「『平和版生命の實相』の自費出版計画も延期の止むなきに至りました」(『明窓浄机 戦後篇』31頁所収)と書かれているように、この平和版『生命の實相』の発刊は実現しませんでした。