南朝の里、天川村。

毎年、この大峰山に登頂するのは修行の爲と南朝の遺構を偲ぶためです。

以前に後南朝の件でこのブログで説明させていただきました。シリ-ズで何回となく記入させていただき、私も南朝の件について年に一回以上は参らせていただいております。

最近では“みたらい渓谷”というハイキングコ-スもあり、せせらぎの音を聞きながら散策できます。

 

【御身拂(ミタライ)とも御盥(ミタライ)とも申されている天川村は、南朝・後南朝哀史の数々を秘めた邑で、村内各地に史実・伝承が残されていますが、河合寺・光遍寺・来迎院などの黒木ノ御所に潜幸遊ばされた南帝方や護良親王は賊徒襲来の砌、ここみたらい峡の頂上にある観音峯(1,347メートル)の洞窟に天川郷士がご案内して度々潜られ給うたもので、洞窟の下の岩石に御歌が刻まれています。

 

吉野山 花そ散るらん 天の川

 雲のつつみを くずす白波

 

伝承によれば長慶天皇、天川の黒木の御所をお出ましになり観音峯の洞窟に潜まれ給いしも、賊徒、観音峯に押しよせ来るを逃れ給いし折、河川の増水せる、ここ、みたらい峡の「光の滝」に御入水、御崩御ましまし「みたらいの淵」にて御遺体をお引上げ奉ったと申され、御物、御玉体は光遍寺・弁財天社・牛頭神社・伊波多神社・国玉神社等に夫々お祀り申せしと伝えられています。

 

臨くと 登りてみれは みたらいや 

 みいずの神器 ここにあるかな 】
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天川村観音峰登山口から