『不二』誌の雑誌に天皇陵を巡拝したという報告書があり、このような青年がいることを嬉しくなる。私も皇陵参拝は全国巡拝しました。神代三陵も参拝させて頂きました。ただ、今回、青森相馬旧陵墓参考地や蜂子皇子などを廻ると、まだまだ巡拝していないなということを実感するのです。様々な逸話やその地方の傳稱を触れることは、まだ巡拝していないことに通じてます。蜂子皇子の八咫烏の伝説など知らなかったのもその一つです。

マダマダ、知らないことが多すぎることが私が巡拝させて戴いての感想です。

 亀の子ブログさんが日本武尊能褒野御墓(ヤマトタケルノボノ)を紹介されています。その三重県などは能褒野王塚古墳として名称を付けています。ここには出来るだけ“大和武尊”と云う名称を省きたいという願望が奥底にあるようです。

 

 私も参拝しましたが、陵域内の培塚が多く有り、それが細かく点在している。ただ、住宅地に囲まれてしまった陪冢(培塚)もあり、どうにかして欲しいという気持ちです。ほんとうにそんな事をすると陵墓の価値がなくなるのです。

ここは陪冢が「い号」~「ほ号」とあり、立て札には「飛地い号」とか書いています。それ以外に域内陪冢として「い号」~「り号」があり、「い号」陪冢の中に域内陪冢が「ぬ号」~「を号」があり少しややこしかったことを憶えています。陪冢が合計で12か所あります。

 

 現在、考古学という日本の伝統や歴史を無視するような学者が多すぎる。最近では「民放」「NHK」が“仁徳天皇”という表記をしているのが、その“仁徳”の名称が気に食わないので文句を付けている。なんという自己勝手な論であろうか、情けない。

 考古学者の偉いさんが何者であるかということです。考古学者が歴史をそんな唯物的な感覚だけで見ている。自分と意見が違うからと云って、そりゃないだろう。何か、韓国人や中国人の思想の人が多すぎる。

そんなに日本の「古事記」「日本書紀」が気に食わないならば“考古学者”など辞めてしまえと思って居ります。