私のような個人的に「谷口雅春先生」という偉大な人物にふれ、様々な事柄を探究していくと「生命の實相」に日付や名称などの間違いがあります。ただ、それを修正するかどうかは、個人的な見解に分れるものだと思います。ただ、後世においての間違いはやはり修正すべきだと思っています。『生命の實相』はそのままにして欲しい。

 

 私が指摘した『尊師 谷口雅春先生の偉大なご生涯』の綾部新聞という記載ですが、今年の4月にその本を見た時には、修正されずにそのままで販売されていました。間違いを指摘したのが、昨年の59日でした。しかし、修正しなかったのか、忘れたのかわかりませんが、やはり考えるべき点であると思います。

ただ、私でもそうした編纂に直に関わると、言い訳ですが間違いが多く山積してしまう場合があり、それを考えてみると人を責めるようなことはしないようにしたい。

 

ただ、その編集長の心づもりというのが大変大切になってきます。それは素直な気持でいる人物かどうかであります。幸い私の場合はそういう「間違いの指摘」は大変有難いと思っている人物ですので、ドンドンと指摘して欲しい。今回も見て頂く人物も多く有り。本当に有難いなと思っています。間違いは早く修正するようにしています。

 

 その心づもりというのは意外と出来そうで出来ない。それは自我というのが強い場合に起ります。自分が正しいというのを強調しすぎて、多くの人との調和を生かせなくなる場合です。そこで大切なのは「ひょっとして私、間違っているかもしれない」という気持ちも反対に大事になります。そこからもう一度調べるのも大切なことであります。

 

そうした素直な気持が大切なんです。それと度量も必要です。それは間違った相手を責めるのではなく、拜む事です。相手を拜むことにより、本当の真我というのが見出せるのです。

常に相手を責めたり、責任追及をしていても、自分の實相(本当の心)が心に満足というものがあるかどうかであります。それにより、自己が満足出来ても、相手が不快になったり、傷つけられたりしていないのかを考える。

 

今回の『霊性の目覚め』という事について、そのように観じたのです。