どうも、最近は「インタ-ネット」の普及で少しだけ知ったら、それで理解したように錯覚する。本当に「理解」するとは、そんなものではないことは、谷口雅春先生のみ教えを学んだ人ならば御理解いただけると思う。

 

あの日野君は独自の学説を展開している、ただ全体的に上っ面だけで、その中身や信憑性が乏しい。あんなものを貼り付けるならば、恥ずかしいとは私の考えである。

もう少し自分で理解した上で、勉学して「根拠」のあるものにしなければ、多くの人から「そっぽを向かれるだろう」

 

さて、「古田学説」と呼ばれるものを支持するようなことを書いていたが、申し訳ないが、どれだけ理解したのか疑問である。「古代史」を勉強もしないで、○○学説を信じていると言われても、その「学術」はどれほどあるのか、「表面の薄い膜」だけを理解して、全てを知ったと勘違いしているのに過ぎない。信頼できるものと、そうでないものとが古田学説にはある。ただ、「神武天皇実在」についてもそうである。どれほど理解しているのか、「生長の家」での言霊での解釋とその理解が必要である。私など「神武天皇」を勉強すればするほど、頭が混乱してしまう。「この言葉」はどう理解すればいいのかがわからなく、「神武東征」について筆が止まっているのも。その理解に苦しんでいる。

 

私は「奈良時代」の律令国家の形成から「天皇信仰」が生れたという「日野君」の論は申し訳ないが、否定論者である。「大和なる天皇家の王権が7世紀より前から日本列島の唯一の中心権力者であった」とする日本古代史の「一元通念」を否定した点が最も大きな貢献とされるのが「古田学説」である。

私は現在の近畿説ではないが「一元通念」の論考である。天皇国家を中国から来た「漢字」で理解出来るようになったのが、確かに「奈良時代」であるが、しかし漢字が一般に「日本人」に傳稱するのに相当の時間がかかり、年代もかかる。しかし、その前に日本には「コトバ」があったのは古代学者も否定しないであろう。

その「コトバ」というのが「言霊」であり、そこに含まれる「意味」を理解しなければ、「天皇信仰」は律令から生まれたんだと言われても、「日野君」の独り言である。教科書ではそのように書いているだけである。

 

谷口雅春先生がお書きになられた「悠久の世界觀」を理解しなければ、日野君の歴史観は単なる一人論であり、「生長の家」とは全く関係がない。それを堂々と違う掲示板に貼り付けする勇気だけは私は敬意と感服である。

 

私なんかは「魏志倭人伝」すら否定しているので、古田学説でもない。独自で掘り下げているだけである。また、「陵墓」についても、もう少し理解してから書いて頂きたい。見て居られないというのが、私の考えである。どれほどの「天皇陵」や「陵墓」「古墳」を巡り、その地域性の理解や学術など、様々あるであろう。それを理解していない、単に「あの人が言った」○○論を否定しているだけで、それを「右翼」や「左翼」と云うだけでは何の論証にもなっていない。

 

以前に「黒塚古墳」(天理市柳本)に行って、「三角縁神獣鏡」「刀剣」など見て、反対に疑問を感じてしまった。

夥しい「古墳群」に古代の人の考えを探る人も必要であると感じた。多くは「朝鮮」から渡来してきた等と記入している掲示板を見て、それを否定している自分がいる。ただ、根拠も必要なので「勉強」しなければ書けないのです。