『和解はどうすれば出来るのか』

これは本来、個人の遣り取りの場合は簡単であります。それがどうして出来ないのかというと、自己限定が何処か「心の中」にあるのです。それは「おのれの心」を無垢とし、相手の惡を認めない。これは簡単なんですが、自己限定と「心の隅」で「憎悪、嫌悪」と心の何処かで「悪魔の聲」のように、憎んでいる心があるのです。
 
 例えば、トキさんが唱えているのは、現象的には理解もできますが、例えば本流派という団体にどこか「疑心暗鬼のような心」があるから、「谷口雅春先生に帰りましょう」には反抗したい心があるからなんです。

 

それを心から取り除かなければ、いくら「本人」が和解を唱えても、自分の心にそれを「阻止」するような心があるのです。本当に自分の心に誡めながら、「本来の姿」を拜むことをすれば、「和解」というのが可能でありますが、トキさんのように「本流派」に反抗心を持ちながら、人に「和解」をいうのは、「和解と云うのは不可能」であります。まずは、率先垂範して、自らの身を清浄にして「ああ、自分は「本流派」という団体と和解が出来ていない、その為に率先して「和解」を行います。そう心で唱えて「実行」する。

 

破邪顕正さんはそんな「和解」の意志など現在はありませんから、片方でいくら思っても、そのような心境にならなければ難しい。また、雅宣氏はもっと反抗心を持っているであろうから難しい。団体となれば、主宰者だけではなく、とりまきの人達の反抗心があるから、「和解」というのが困難であります。主宰者が「悔い改めて懺悔する」そのことから出発しなければ出来ない。そうした心を持たなければ「谷口雅春先生」と称えても、救いは出来ないのです。

 

「生長の家」を「喧嘩の家」という人がいますが、哀しいことですが、初心に戻り「調和の家」にしていく。その為には「教団」は「学ぶ会」の悪口を言わない。「学ぶ会」も「教団」の悪口を言わない。「心の中で憎しみの心」も駄目であります。人に「嫌な言葉」「おちょくる言葉」も避ける。誠心誠意の対応が必要であります。私は「雅宣氏」の悪口を出来る限り言わないようにしたい。ただ、左翼的な言動ははっきりと云うようにしていきます。

 

初期に「トキ」さんは本流派とともに「掲示板」で共にブログで書いていた時期もありましたので、決して不可能なことはありません。「和解」を云う前に、みずから手本を示すことが大切だと感じます。


今回、『生命の實相』レファレンスで書きましたので、それを参考にどこかに「和解」することが記入されているかを見て下さい。