24日から長野県松本に出張である。今回は二日間だけであるが、日曜日から出発である。
これが終ると暫くは出張がないと思っているが、まだ急遽行かなければならない事があるが、社内が忙しいので短期間であろう。
さて、トキさんが思い切ったことを書いている。それも間違いのない事実であろう。
「新経本」読誦の注意点 (10177)
日時:2019年02月22日 (金) 22時36分
名前:トキ
「新経本」を読んで、不具合が出た人の事例を複数聞きましたが、中には大きな行事で「新経本」を何回も先導で読んでいるのに何も問題がない人もいます。私の教区にもそう言う人がいるので、内密に事情を聞いて見ました。
「新経本」を読んで不幸になった人の多くは、「甘露の法雨」などの聖経を読むのと同じ調子で読むので、問題が起こったというのが、この人の解説です。
一般に、甘露の法雨」などの聖経は、
1 神様が谷口雅春先生を通じて書かれたもので、
2 霊界の諸霊に上げるものであるから
3 心を込めて読まなければならない
と言う指示を信徒は受けています。
しかし、「新経本」は
1 人間の頭で書かれたもので
2 人間の都合で読むものであるから
3 心を込めて読んではいけない
と言うのがポイントらしいです。
もちろん、読まないのが一番だが、浮世の関係で、講師などはどうしても先導などをしなければいけない場合はあります。その場合は、とにかく、「これは人間が書いたものである」と認識し、他のことを考えながら上の空で唱えると害は少ないみたいです。
「大自然讃歌」などは、生物の教科書みたいな内容ですから、学生が授業中に教師から当てられて教科書を読んでいるのと同じ感覚でいるといいのでしょう。
ただ、時間の無駄であるのも事実ですが、それは我慢しなければならないでしょう。
以上、ご参考まで。
なかなか、こんなことまで書けないのでトキさんに感謝である。雅宣氏自身も「左脳」で「新経本」というのを書いたといっているのだから、信徒もそうなるであろう。多くの教区もそうであろう。
日野君はそれにしても威勢がよい。
「総裁先生は無辺行菩薩」
まあ、そう信じるならば、それでいいと私は思っている。信仰というものはそうであるから「それでいい」ただ、異論の唱えている掲示板に自分の宣伝までしなくていい。どうせ反論されるだけで、勝ち目はないのは当然である。
私なんか日野君は寂しいだけであろうと思っている。自分に構ってほしいから投稿しているんだと感じている。消去される掲示板まで書いているのだから、好きなようにやって欲しい。ただ間違いだけは皆さんが指摘して欲しい。
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