『日本書紀』の下記の箇所ですが

 

「且登天磐盾」天磐盾(あまのいわたて)を登ると記載があります。それがこの神倉神社なのです。

 

この場所が地名にあります。
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交差点に掲示されている場所が「磐盾」という場所であります。新宮高校の西側に当たる地域で神倉山(権現山)という所がありますが、その山こそ「天磐盾」に登ったと云う記載であります。

その山は急な階段があります。そこをひたすら登れば神倉神社のゴトビキ岩があります。これは熊野三山の神々がその岩に降臨されたという、巨大な岩であります。

写真を見られたら迫力のあることがわかります。

ゴトビキ岩を御神体として、高倉下命(たかくらじのみこと)・天照大神(あまてらあすおおみかみ)を祭神としています。

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1MCD4vNN3OEvrfyltUydNIR5qnwo&msa=0&hl=ja&ie=UTF8&t=m&ll=33.73401203815111%2C135.98328371497655&spn=0.014277%2C0.035148&z=14&source=embed
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急階段から見て頂きます、女性が登っていますが、中には手を着きながら登っている人もいます。
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熊野速玉大社の摂社であります。もう一つ、摂社があります。

「渡御前社」です。

それは祭神が神武天皇なのです。

由緒書きより。

どうしても、神倉神社に圧倒されてこうした小さな社を見過ごしてしまいます。

 

 

熊野権現熊野速玉大社 末社

 渡御前社

 

一、御祭神 神武天皇

 

一、御由緒 境内は神武天皇頓宮跡と伝えられ、古来、速玉大社末社と江戸時代の古書に記されている。明治四年本社へ合祀、昭和四十六年五月二日に再建した。
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神倉神社から熊野速玉大社の途中に「生長の家紀南道場」があります。
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熊野速玉大社です。


私がこの神倉神社に立ち寄ったのが2月9日です。その三日前にお燈祭が行われていました。

お燈(トウ)
(2月6日)

熊野速玉大社と神倉神社の祭礼である2月6日の「お燈祭」。江戸時代までは、その年の平安を祈る祭として、1月6日に行われていた。
松明を手にし、荒縄を胴に巻いた白装束の男たち約2,000人が、石段を一気に駆け下りる姿は圧巻。新宮節(シングウブシ)に「お灯祭りは 男のまつり 山は灯の滝 下り竜」と唄われており、熊野地方に春を呼ぶ勇壮な火祭りとして有名である。
https://www.youtube.com/watch?v=9RPtctMV2yQ

動画みていただければ、途中の迫力のある道がわかります。