「学ぶ会」から疎遠になって数年。私はその選択は間違いなかったと思っています。

現在、生長の家教団の実態は眼を覆うばかりの悲惨な状況であります。まるで宗教とはかけ離れた、遊びに興じております。宗教とは名ばかりで、単に「谷口雅春先生」に反目しているだけに思えてしまう。

 それを批判するのはいいのだが、何かそればかりが「谷口雅春先生に帰りましょう」には記載が続く。それよりも「生長の家」の教えに基づくものを書いて欲しい。未だに「教団」に在籍して忸怩たる思いで残っている人も沢山おります。そういう人をまるで「悪」であるかのような記載には何か寂しさを感じます。

 

 以前にも書きましたが、批判を書くのはいいが、それを少しだけに抑えて「生長の家」の素晴らしさを書いて欲しい。

私も「谷口雅春先生」の聖地巡礼ではないが、それに等しいようなことを行っている。それは失われた歴史というのを、顧みたいという思いです。

谷口雅春先生の歴史といえば、「烏原水源地」「藤棚の家」「元住吉神社」など数か所しかありません。そこから「西野田職工学校」「摂津紡績」「滝川小学校」「春日出尋常高等小学校」「蘆分尋常小学校」などをこのブログで紹介しました。

 

このように「聖地」というのを信徒は是非学んで戴きたい。「雅春先生」がどのようにして生きてこられたかというのは『生命の實相』にも繋がるように思います。