谷口雅春先生御寄稿

 

『新時代』大正15年3月号

 

『人類の偉大なる成長を希うて』

 

偉大なる進歩を遂げようと思う者は、偉大なる心を有(も)たなければならない。心狭き者は偉大なる進歩を遂げる事は出来ない。彼は心を広くゆたかに有たねばならない。彼は神の如き心を有たねばならない。彼は太陽の如くあらゆるものにおおらかな心をもって光を投げかけねばならない。

 

 

 

  太陽の心に呪詛はない。太陽は光を受取るものにも、光を受取らない者にも無差別に照らすのである。……呪詛は呪詛を招き、祝福は祝福を呼ぶ。吾等は万人を祝福しなければならない。……

 

  人は丑の刻詣りをして他の人の運命を傷けようと思うようなことは滅多にないであろう。

 

 また神社の杉に呪い釘を打つことも滅多にないであろう。しかし眼に見えない呪いの釘が其の人の腦髄から放射して誰かの心臓を一つすら突き刺していない人は殆んど無いであろう。

 

 呪詛の最も陥りやすき形式は、『ケチをつける』心である。『ケチをつける心』あるものは大いなる運命から祝福されない……

 

当時の宗教は暗い思想があった怨念思想の中から出てきたものは「暗い」「陰気」なものであった。神社の杉に釘を打つのは貴船神社に逸話がある。今も尚、釘を打つ人がいる。

 橋姫ではないが、貴船で呪詛をして呪い続ける思想は当時の天理教でも違う形であった。

明るい面とそうした暗い面との二面で対峙している思想を全くの改革である新思想として光明一面の世界として捉えたのは生長の家谷口雅春先生だけであった。