天川村を御存知でしょうか?
みたらい渓谷や洞川温泉や大峰山寺など世界遺産があることで有名な場所なんですが、そのなかでも「南朝」に力を入れていることです。
たとえば、下の写真ですが「観音峰山登山口」には下図のパネルが飾っています。
また、下図には観音平には石碑が建てられています。
南朝最後の砦
天川村のホ-ムペ-ジには
高い山と深い谷によって形成され、冬季もきわめて寒冷である天川村。古くは人々が定住するにはいたらなかった土地でした。また、高天原に所以するとされる「天ノ川」という名称が、この地方の河谷に名づけられたという伝承があり、そもそも定住することがはばかられた一種の「聖域」だったとも考えられています。
そして、このことが修行者たちの「行場」が開かれるきっかけとなり、約1300年前の役行者による大峯開山以来、山岳修験道の根本道場として栄えてきました。弘法大師空海との関わりも深く、大峯山で修行した後、高野山へ至ったその道程には、空海にまつわる多くの史跡・伝承が残されています。
また、大峯連山のひとつ、弥山に祠られた弥山大神の歴史もきわめて古く、天河大辨財天社の隆盛とともに聖域化され、これらに前後して「天ノ川」という河川名が生まれたといわれています。南北朝時代には、南朝方の重要な拠点として後醍醐天皇、護良親王、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇などを擁護しつづけました。村には現在、十三通もの綸旨・令旨が残されています。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。