『綾部新聞』という記載についてですが、『生長の家三十拾年史』の371頁に記載のある部分に
【先生のお歌は『綾部新聞』には毎號十數首が掲載されていたが、今は手に入らない…】
こうした記載があるので、光明思想社が記載を誤まってしまったことが理解出来ます。この当時は「大本教」に訪ねないで、そのまま編集者が現況の掲載のみを確認して掲載したように思います。五拾年史においては修正されています。
谷口雅春
御題詠進
船出(昭和二十八年)
初船出 むかふる如く 輝ける
雲をそびらに 澪標立つ
林(昭和二十九年)
天地の いのちの底に よこたはる 静寂の林 いま東雲來ぬ
富士の山 のもすそに曳ける 山なみに
つゞく林に 朝日照わたる
泉(昭和三十年)
大神の いのちのみつゑ 指すところ
岩うちわりて 淸水たぎり出づ
神ながら 地下にくぐるも やがて世の
泉となりて 渇きいやさん
三拾年史には『綾部新聞』の箇所のみならず、事実と違ふ記述がさまざまな処にあったといふことを、本年4月29日21:05の記事にて拝見いたしました。私などは例へば「書店版」と書いてあれば手放しでまづ信じてしまふと申しますか、もし調べてゐることがそのやうに書いてあれば、まづ安心してしまふやうに思ひます。
怖いのは、自分一人の誤解に留まってゐればそれまでのことですが、それを典拠に何らかの形で公の文書で言及してしまふことです。
さうしたことを可能な限り避けるためには、常に心のアンテナを張り巡らせてゐること、そのことによって神様のお導きによる人との御縁、学恩、自分の取るべき行動へのインスピレーション等に感応受信してゆけるやうに祈り且つ進一歩に努めることでせうか。
立葵拝