下記の文章は以前にこのブログで掲載したのですが、最近ブログを見て頂く人も増え、是非とも読んで欲しいというのが、戦後のGHQの焚書坑儒です。いかなる状況で戦後の検閲が行われたのか、それは日本人によって検閲が行われてきた、その検閲のボ-ダ-ラインのようなものはなく、検閲する人物によって違ってくるという曖昧なものであった。

GHQ
の焚書坑儒

戦前の発禁図書を含めて、調べてみると戦前の場合は新興宗教の弾圧というものが激しい。既存の仏教というのが大きく権限をもっていた当時、類似宗教として神道系の宗教を標的に弾圧をしてきたことを発表しました。

 

よく、特高と呼ぶが、共産党の取り締まりが厳しく、小林多喜二が殺されたというが、当時の状況を知らない人である。共産革命を目的としていた共産主義は当時ピストルを所持しており、警察官が死亡する例があり、より取り締まりが強くなったのも頷ける。

 

現在の共産党はこの件ではよく嘘を付いています。

 

これと同等のように類似宗教を弾圧することが起こってきますが、それでも「ひとのみち教団」などはそうしたことに雅春先生は賛意をされておられます。

 

前回にもいいましたが、この戦前の発禁より厳しかったのが戦後GHQによる弾圧です。

 

下記は抜粋ですが、私と同じ意見ですので黙って掲載させていただきます。(上善如水のヘッダーより抜粋)

 

紀元前三世紀、秦の始皇帝は「焚書坑儒」なる蛮行を行いました。此れは、儒教の書物を焼き払い、儒者達を穴に生めて殺した事件です。戦後、GHQは日本に対して「宣伝用刊行物没収」なる指令で「焚書」を行います。

 

戦勝国が敗戦国の憲法を創る事、新聞・雑誌・放送の検閲は勿論、相手国の歴史を消す事、書物の発禁、禁書も国際法上許されません。相手国の文化を踏みにじる行為は、絶対に許すことの出来ない蛮行です。然し「自由と平和」を標榜する米国は平然と行いました。昭和20年9月から占領期間中の新聞、雑誌、映画、放送内容、一切の刊行物が「検閲」されます。

 

乍併(しかしながら)「検閲」と「焚書」は別次元の行為です、日本では、昭和3年1月1日から昭和20年9月2日まで、約22万タイトルの刊行物が公刊されています。其の中から9288点の単行本を選出し、審査の結果7769点に絞り、「没収宣伝用刊行物」に指定したのが、米国による「焚書行為」です。本の没収は文明社会が決して行っては為らぬ歴史破壊行為ですが、米国は此れを行ったのです。

 

米軍の政治的意図は「被占領国の歴史を消す」事でしょう。然し此れだけの行為を、GHQ軍属と日本政府の行政官だけでは為し得ない作業です。日本の知識階級、學者、言論人の協力が無ければ実行不能な事柄と思います。其の協力の中心に東京大學文学部が存在したことが明白と為りました。

 

 「宣伝刊行物の没収」に関する「覚書」は、昭和21年3月から昭和23年4月までに全部で48回通達されます。奇妙な事に、14番と33番の通達以降に没収される本の種目点数が一気に増加しています。特に33番(昭和22年9月)以降は、前回の88種から500種と異常に増えて行きます。著者(西尾幹二氏)は、此の時から日本人の協力者が参加したと推定します。

 

「覚書」では「個別に存在する書物」、つまり民間人や図書館の書物は没収対象としないこと、然し指定した本は書店、出版社は元より全ての公共ルートから徹底的に調査し廃棄することを、宣言しています。「焚書」の原本中、約80~90%は、国立国会図書館(旧帝国図書館)に現存します。

 

 米軍は図書館の本は没収しなかったので当然ですが、「宣伝刊行物の没収の指定は、帝国図書館などの蔵書を基礎として行われた」と図書館側の証言を得ました。つまり、「焚書行為」の舞台は帝国図書館内で行われたのです。

 

帝国図書館館長・岡田温(ならう)氏の回想録です。「昭和22年、外務省の矢野事務官来館、この件に関する小委員会が設けられた。外務省の田中政治部次長、矢野事務官、内閣終戦連絡事務局の太田事務官が担当で、専門委員として東京大學の尾高邦雄、金子武蔵(たけぞう)両助教授、それに私(岡田館長)が加わり、小委員会は主として帝国図書館館長室で、本委員会は委員長牧野英一氏主宰の下に、首相官邸内会議室で行われた」此処に東京大學(旧東京帝国大學)の尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一と謂う3名の著名學者の名前が登場します。

 

尾高邦雄は戦後を代表する社会学者とされます。金子武蔵は和辻哲郎の東大に於ける倫理学講座の後継者と目され、後に東京大學文学部長を務めます。牧野英一は明治42年『刑GHQ焚書図書事学の新思潮と新刑法』で刑法理論に革命を起こしたとされ、東京帝国大學法学部教授として、戦前には学会のカリスマ的存在であると謂われます。

 

社会科学と人文科学を代表する二人の學者が「小委員会」に参加し、背後に長老格の法律學者が「本委員会」の委員長として没収テーマを主宰する。この年が同じ昭和22年なのです。

 

注目すべきは、牧野英一は昭和22年6月から同年23年5月まで、中央公職適否審査委員会委員を務めていた事実です。此れはGHQによる公職追放に協力するための委員会です。彼は敵国側に附いて、昨日までの仲間を裁く役割を演じていたのです。

 

更に彼は昭和23年7月から昭和33年11月まで、国立国会図書館専門調査委員を務め、「焚書」と謂う忌まわしい政策、そして全国展開された没収作業に、全期間を通して深く関与していたと推測される事実です。

 

GHQの民間検閲支隊(CCD)の主な活動は、マス・メディアの検閲であり、此れは私信開封まで行った非道な行為です。此のCCDの一部門にプレス・映像・放送課(PPB)があり、その下部組織に「焚書」のリストを作成した調査課(RS)が存在します。彼等はリスト作成のみで、実行は日本政府にやらせています。

 

最初は日本の警察が行いましたが、昭和23年6月以降文部省社会教育局に業務を移管します。其れに伴い没収行為の責任者を、都道府県知事に定める文部省通達を出します。こうして「焚書」行為は徹底的に行われますが、GHQの意図が国民に知られぬように神経質なまでの配慮が為されています。

 

「本件事務は直接関係のない第三者に知らせてはならない」。亦、没収官の「身分証明書」の裏面にも「本事務の施行されている事を当事者以外に知らせてはならない」と記載しています。此処まで秘密保持に固執して禁断の「焚書」行為は行われました。更には「没収の際に拒んだり、危害の恐れがある時は警察官公吏の強力を求め、任務の完遂を期すこと」を求めています。

 

こうして「焚書」は7769点に絞り込んだ没収リストに基づいて、3万8330冊の収拾に成功します。但し此の数値は指令毎の点数と期間毎の没収冊数の数値であり、実際の没収冊数は文献が無いので不明です。

 

GHQから自社出版物を廃棄されたBEST3は、朝日新聞140点、講談社83点、毎日新聞81点です。現在は自虐史観の代表的マスコミが、此処に名を連ねています。

 

また当時のGHQの焚書の手伝いをした左翼の学者がいます。西尾幹二氏の本から抜粋します。

 

GHQ焚書を行なった日本人」

 

 東京大学文学部の関与

 

「焚書」の実行がどのような順序で、誰によって、どのような査定で行われたかに関して、研究はいま緒についたばかりで、六十年も前のことなので、没収書指定のプロセスの全貌がこの稿を書いている現段階でいまだ見きわめがたいことです。

 

アメリカ軍の政治意図は明瞭です。占領以後になされた軍命令と日本政府の対応も現在調べがついています。没収書指定の行われた場所(これはまだ一つに確定できないでいるのですが)、数量、期間、手順もほぼ分かってきています。廃棄された後の本の処分法、残部の行方も大略つかめています。

七千数百点の本の題名も今日までに明らかにされました。

 

しかしどうしても腑におちないのは、GHQの軍属と日本政府の行政官だけでできる作業ではなく、日本の知識階級の誰か、学者や言論人の協力がなければ実行できない種類の事柄なのに、それが判然としないことです。(中略)

 

協カの中心に東京大学文学部があったことが最近分かってきました。助教授であった二人の学者の名前も今年発見されました。

 

  背後に当時有名だった刑法学者が総取りまとめ役をやっていたことも突きとめられました。

 

いずれも後に、文化勲章受章者や日本学土院会員になられた方々です。

 

 日本の歴史は日本人の知的代表者によって廃棄され、その連続性を断ち切られたのでした。(中略)

 

現在の国立国会図書館の蔵書は当時の帝国図書館の蔵書を引き継いでいるそうです。そしてGHQによる「宣伝出版物の没収の指定は、帝国図書館などの蔵書を基礎として行われたものである」というきわめて重要な証言を寄せて来られました。(中略)

 

帝国図書館長・岡田温氏(当時)の次の回想記は、このうえなく重要です。

 

「話を再び昭和22年にもどすと、出版物による言論パージの調査の始まったのもこの年であった。

帝国図書館には戦時中並びに戦争前の出版物が網羅されているところから、この年の414日外務省の矢野事務官来館、この件に関する協力方を求められ、次いで出版物追放に関する調査のための小委員会が設けられた。

 

外務省の田中政治部次長、矢野事務官、内閣終戦連絡事務局の太田事務官等が担当で、専門委員として東京大学の尾高邦雄、金子武蔵両助教授、それに私が加わり、小委員会は主として帝国図書館館長室で、本委員会は委員長牧野英一氏主宰の下に首相官邸内会議室で行なわれた。

このように国立図書館が、国の政策に協力しなければならないことは当然であろうが、仕事としては余り楽しいことではなかった。(「終戦直後図書館界大変動期の回顧(2)」)

 

なにげなく語られていますが、途方もなく深刻な意味を持つ証言ではないでしょうか。尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一という三人の著名学者の名前がこの目立たぬ回想録の中に突如として立ち現れたことに、私は言い知れぬ衝撃を受けました。これは驚くべき発見であり、しばらくはどう考えてよいか分からぬほどのショックを戦後思想史を知る多くの人に与えずにはおかないでしょう。

(GHQ焚書図書開封 第1巻より)

 

 最後にこの戦前の検閲より厳しく、GHQの検閲よりも厳しく、民主主義に反する行為を行っているのが宗教界では奇遇な存在である。生長の家の谷口雅宣総裁である。

 表面では立憲民主主義などと謳っているが、自分が示唆したことを悟られぬよう、非道な検閲を行っている。谷口雅宣こそ「民主主義の敵」であり、独裁主義であることを信徒は本気になって知らなければならない。通常、自分の意見と異なるならば、俎板に並べ信徒に選択させるのが本位である。また、信徒に意見を求めて、行くのが本来の筋道だが、周りに茶坊主だけを集め、気に入らない信徒や古参の人は首を切る。

 こんな所業はナチスのヒットラ-に似ている。しかしこれだけ信徒が減少しても、自分は責任も取ろうとしない。中国の国家主席もそうであるが、自分の権力を固めて独裁体制を築いている。それと同じように雅宣独裁体制が固められ、気に入らない物は左遷となる。

 日本にこのような独裁体制の宗教界の総裁でこれほど尊敬されていない人はいない。