一昨日に毎日新聞に

【交野市星田北の天野川堤防では、路面に約100メートルの亀裂が入った箇所があり、18日に砂を詰めて対応したことを府が報告。丸山日登志・災害査定官は「亀裂から雨水が入る可能性があるので、ブルーシートで防がないと堤防が土砂崩れする恐れもある」と指導した。】

 

先日のブログで交野(かたの)断層について述べたが、やはりそうであった。私の見た断層はそれから更に1km南下した所にある。

この交野断層で有名なのは交野山(こうのやま)である。ここは花崗岩の一枚岩があり、そこが山頂となる。それぞれに巨石があり、そこから信仰も生まれている。

この地形は今から100万年に始まった「六甲変動」という地殻変動によって、その骨格が形成された。それぞれの山にある巨石はそうした盛り上がったものが、風化して石が残った。もともと海岸段丘であり、海であった所が隆起して山になった。それは花崗岩がその根拠となる。花崗岩の形成には水分が必要で主にそうした水分は海によって成り立つ。溶岩が水で冷やされ固まりとなる。形成の仕方で石も変化するが、大体昔は海であったことが多い。

さて、その交野断層の南側には巨石で有名な磐船神社がある。ウィキペディアには

 

 

交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。 本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。

 

神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承が先代旧事本紀にもある。 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。中世以降は、山岳信仰や住吉信仰の影響を受け、現在も境内には垂迹神の住吉大神の四体が連なる本地仏の石仏や不動明王石仏を初め神仏習合の影響が色濃く残されている。

 

この神社には岩窟巡りがあり、巨石の中を通り抜ける。

三回程行ったことがあり、興味のある方は是非参拝して下さい。