昨日は恒例の「鯖街道」を一日で踏破した。

本来は福井県小浜市で旅館に宿泊して早朝に出発したらいいのかもしれないが、一昨年の自分であればそういう自信もあった。だが、全くそこまで出来るものが現在の自分の能力にはないことがわかっていますので、寝ずに1213分から福井県小浜町のいずみ町商店街からの出発である。ここは小浜湾のすぐ近くにあり、潮の匂いがする場所である。

今回は正規ル-トで歩こうと出足はゆっくりと考えた。

小浜は昔「北前船」の停泊場所でもあった。そうした船の乗船員が町に繰り出して、遊興した、その船からニシンや昆布などの食産をこの小浜にもたらした。また鯖が良く獲れた。その為、塩漬けして「京」まで運んだ。それが人力で針畑ル-トと呼ばれるコ-スである。

この言葉は戦後に作られたものですが、江戸時代にこのコ-スを利用して「京」まで運んだとされる。

 

小浜西組という大正時代の「京町」のような入り口が小さくて縦に長い作りの横を通り後瀬山城跡がある山城の脇を通ります。ここは昔の丹後街道とよばれているみちであります。そこから国道27号線(丹後街道)を通り、県道35号線を通るルートです。時間は112分。

小浜の遠敷(おにゅう)川の横に其の道があります。(この遠敷川の横には若狭姫神社や若狭彦神社がある(海彦山彦で有名な彦火火出見尊をお祀りしています)あの東大寺のお水 取りで有名な「水」を鵜之瀬という遠敷川の水からとっています。時間は27分。

しばらく歩くと、根来(ねごり)という地区に入っていきますが、山の麓にある地区を下根来という所ですが、所々に家がありますが、川のせせらぎの音や風の音が聞こえて、静かさというより、少し物音が聞こえてくる道中でありました。そこから徐々に坂道があり「上根来(かみねごり)」の以前は林業で栄えた村がありますが、現在は誰も住んでいないと聞いています。そこの休憩所に着いたのが午前331分です。まだ暗く山の中に入るのは危険ですので、少しだけ休憩しようと30分位休憩していました。4時頃にまだ暗かったが出発した。

こんな時間だと鹿の鳴き声があちらこちらから聞こえてきます。登山口の入り口に着いたのが420分頃、まだ暗くて霧が立ち込めて、山に入るのは止めて林道を取敢えず歩くことにした、距離は山道の3倍以上あるが、これならば危険がない。1時間30分程かけてゆっくりと山頂へ向けて歩いた。ここでも最後まで鹿の鳴き声が山を轟かすように聞こえた。

  いつものコ-スに出たがやはり霧の影響でぼやけている。それでも山道に入っても遠くが霞んでいるだけで大丈夫である。ここで高島トレイルとの交叉点である針畑峠についた。542分。ここから下りに入るが景色が素晴らしい。360度山の風景がなんとも気持ちを和ましてくれる。一人でいるのも忘れるような感じである。ここからいよいよ小入谷(おにゅうだに)である。小入谷は元々、丹入と書き鉱物の水銀である。そこから考えられるのは奈良の東大寺の大仏で沢山の硫化水銀が使われた。

 

【続日本紀に記された水銀鉱産地と現在一般に知られている水銀鉱床の分布とは,常陸国を除いては,ほとんど一致している。すなわち鉱床学上,水銀鉱物を伴つてくるか,あるいは古い時代に水銀鉱山として稼行した旧坑が残存しているかである。しかも,これ等の古くから知られた水銀鉱産地の近くは,“丹生”なる地名が多数に認められる特質がある。丹生とは,辰砂の別名である。丹生とは,辰砂の別名である。丹砂または朱砂,あるいはこれを含む赤土を生産するところという意味である。=豊後風土記の海部郡のところに四つの郷が紹介されているが,「昔時之人は,此山の沙を取りて,朱砂を該う。困りて丹生の郷と日う。」と記していることで首肯できる。

 

  また遠敷もそうである。遠敷とかいて「おにゅう」とよばせているが、東大寺の大仏に水銀がこの地からの物が使用されていると記載されている。

 

  小入谷では針畑川の支流を渡るのだが、以前なら何とか濡れないで歩けたが、増水の爲、足首まで浸かって歩かなければならない、その為面倒な場合はそのまま勢いよく走ったが、水が久多という地域まで違和感があり、今回は林道を走ることにした。それが脚に負担をかけた。それもわかっていたが、頑張って走ろうと考えた・

その小入谷(643分)も現在は高島市朽木小入谷と長い名前に代わってしまっているが、ここから今回は中間地点の観光トイレで休憩したが、山本酒店と河合橋という所までは走った。

 そこから、県道110号線を西側へ歩いた。もう走る元気はない。2年前ならばなんとか走ったが、今回はさすがにバテていた。

  自然環境活用センタ-で少し休憩して(942分)いよいよオグロ坂峠及び八丁平へ向けて歩いた。この道創造以上に悪路である。以前からそうであるが、この道は大変苦しめられる。小さな登りだが、至る所から山水が湧きだし、枯れ木や木の倒木など様々あり歩きにくい、また道が決壊している所もあり、それがペ-スを乱す。そして、本格的に山道へ突入である。九十九折りの道は44か所あり、行けども中々到着しない山道である。今回は取分けて倒木が多いのに驚いた。30か所以上の倒木が道を妨げている。また5年前から主要な道も変わってきているのも、山道ならではである。オグロ坂峠は昔ならば西側から入ったが、今は東側からである。少し違和感を感じてオグロ坂峠を越えた。3人の登山者にあった。時間は1131分である。

八丁平からフノ坂峠を越えて下りである。この道は以前なら通らなかった。台風の影響で倒木などで道を塞ぎ、二の谷管理舎まで行けなくなったため、新たに作られた山道であるが結構厳しい。

 

二の谷管理舎で昼食である。

さてここから尾越集落を通り大見町まで行く。大見尾根は昔から悪路で有名である。今回は道路に水が通っていたが以前よりだいぶ歩きやすかった。それでも滝谷山登山口からの道の悪路には参った。普通は走れるのだが、走る気力も消えていた。

 

 杉の峠を越えて、愈々アスファルトの急坂である。小入谷の坂で膝に負担を掛けているが、更に負担を掛けなければならない。花脊峠までゆっくりとそこから早く走るようにした、最早写真を撮る気力もない。水分も使い果たしている。鞍馬までなんとか水分も持ってほしい。鞍馬川を左に長い下り坂を走った。鞍馬温泉少し手前に自動販売機があることを知っている。そこまで何とか頑張った。そこから鞍馬駅までは精も根も尽き果てている。鞍馬駅でトイレを借り、ジュ-スをまた一飲みした。取敢えず出町柳まで歩こう。

そう決意してからは痛む脚を堪えて、鞍馬街道を南下した。

 

深泥池(みどろがいけ)の横にある急な坂は脚に負担がある。それでも我慢しながら、京都コンサ-トホ-ルや京都府立大学の横を通り下鴨中通を南下した。どうにか御蔭通りにでて最初に出町枡形商店街に着いた時間は641分である。葵通橋の鴨川の橋のたもとにある石碑に写真撮影してようやく終了した。それから、汗臭くなっている身体を浄めようと「東山温泉」でゆっくりしたが、脱水症状になっているので長湯は出来ない。

身体を2回程洗って、湯に浸かった。

あとは出町柳から祇園四条駅と阪急河原町から自宅の駅までであったが、乗り過ごしになりそうであった。

家に帰って、そのまま寝てしまった。時間は9時40分である。
走行距離約80km、歩行數134000歩。