岡潔の晩年は奈良市の高畑町で暮していた。この場所は昔の新薬師寺の境内にあり、北側には春日大社の広大な鎮守の森がある。そこには禰宜の道が3か所あり、春日大社の官職が通る道があります。高畑町には神官の住んでいる住居が多い。

 

また、新薬師寺には国宝の十二神將は見事しかコトバが出ない。この新薬師寺には5回程参拝させていただいているが、いつも感動する。

 

岡潔の家はこの新薬師寺から近い場所にあった。また志賀直哉の旧居があります。また東側には滝坂の道があり、柳生街道に繋がる。奈良町にも近くにあり、奈良の新しいスポットとして色々な新店舗が進出している。

 

日々のつれづれより抜粋

 岡潔先生は昭和53年(1978年)31日の明け方、この世にお別れしましたが、終焉の地となったのは、新薬師寺にごく近い奈良市高畑町の家でした。高畑町に移る前は同じ奈良市内の法蓮佐保田町の貸家に住んでいましたが、昭和41年(1966年)8月末、高畑町に新居ができあがり、引っ越しが実現しました。転居通知の日付を見ると827日になっています。そのおり庭先に12畳ほどの広さの離れを建てて、お念仏のための道場にしました。岡先生は光明会のお念仏の徒でもあり、戦後まもないころからしばらくの間、熱心にお念仏に打ち込んだ一時期がありました。光明会というのは、明治期に浄土宗門内に現れた山崎弁栄(やまさき・べんねい)上人が唱えた「光明主義」を慕う人たちの集まりです。

岡先生が光明主義のお念仏に最初に取り組んだのは昭和14年(1939年)ころのことですが、このときは長続きせず、いつのまにかやめてしまいました。ところが先の大戦の際の敗戦の衝撃をよほど深刻に受け止めたようで、戦後、新たな気構えで心身を傾けていくようになりまた。光明会は各地にありましたが、奈良では松倉道場や安田道場で定期的に光明会の例会が開かれていて、岡先生も出席していましたが、引っ越しを機に念願の岡道場が成立したのでした。原則として毎月第三日曜日に「青年学生光明会」の例会が行われました。岡道場は数学研究室も兼ねていましたから、「数学念仏道場」などと呼ばれることもあ