戦前における内務省の検閲

それでは戦前における内務省警保局ではどうであったかであります。

 この文章も以前に私が纏めた「内務省警保局『社会運動の状況』」で記載したのですが再び記載します。

全て記載すると70頁に及びますので、昭和13年度の警保局の発表が生長の家に対する公安の厳しさがあったように思います。その一部を披瀝します。

 

昭和13

2)生長の家

①運動状況

「生長の家」の本年度中に於ける運動状況を概観するに、本教団にありては専ら自派教勢の維持拡充にのみ専念して諸他の公共的、国家的事業運動を顧慮するの遑なきものの如く、銃後後援其の他の時局活動には何等の実績を示す所なかりしに不拘、自教宣伝の為にする諸運動に至りては相当活発且つ積極的に行動する所ありたり。

即ち其の一班を示せば先ず14日以降一週間に亘り本部見眞道場に於いて第16回講習会を開催したるを始めとして、爾来屡々全国各地の講演会、講習会、座談会、研究会等を開催して誌友獲得竝其の結束強化に努め、或は機関紙「光明の音信」1万8千部を全国各小学校に無償頒布(1月下旬)して教職員の獲得を策し、又は全国無医村を目標とする誌友獲得を計画して貴族院議員川村鐡太郎等の推薦状及宣伝用パンフレット「生命の實相」を当該各村長宛」無償頒布(6月下旬)する等のことありたる外、引続き新聞雑誌等に相当誇大の宣伝広告を為して読者誌友の誘引に努むる等相当活発なる運動を試みる所ありたり。

而して這間募財の方面に於いても亦之を閑却することなく、叙上の講習会、講演会の開催に当たりては相当多額の聴講料、入場料を徴し、又特殊の宣伝頒布の外は誌友等に頒布する各種宣伝印刷物も概ね有償販売を原則とする等の方法を執り来れるが、該方法は却って所謂迷蒙誌友等に逆作用して毎回の講習、講演会は予定数を超過し、又各種出版物類は假令宣伝用のものと雖も相当の売行を示しつつある模様なり。

更に地方に於ける誌友等の動静は常に谷口を神格視して其の実験奇跡を吹聴し、或いは高官名士の入信援助を云為して教勢拡大に狂奔しつつある状況にあるが、這間「生長の家」教説を妄信するの結果或いは医療を妨害し、又は人心を誑惑する等の虞ある言説を弄し、更に又教勢を誇称せんとして畏くも皇室皇族の御事に言及する等のことある等注目すべき事象をも見つつある実情なり。

 

②特異の言動調

叙上生長の家の動向を窺知する為、各地誌友等が其の布教活動中に漏露せる要注意言動の主要なるものを摘出し、之を表示すれば概ね左の如く相当留意を要するものあるを見たり。

 

生長の家幹部、誌友等

庁府県

言(行)動者

言(行)動要旨

警視庁

東京市赤坂区檜町四 生長の家本部

14日より1週間に亘り本部見眞道場に於いて、第16回新年講習会(受講料金12円)を開催したるが、従前に比し受講者少なく(258名)之が為地方出席者の期待を裏切るに至らん事を憂慮せる結果特に出席簿を作成して本部全職員(90名)の出席を強要し、以て盛況を偽装する所ありたるが、是等本部員は殆ど谷口の講演を問題とせず毎講習最後に実施せる所謂神想観の開始に当たりては恰も遁走するが如く早退する者続出せり。

奈良

生長の家主宰者

谷口雅春

46

44日奈良市県公会堂に於ける講演会(聴衆約600名)席上「薬は決して病気を癒すものでは無く、唯病人の気休めに過ぎない、生長の家では家族治療と称して病気を癒して居るがそれは病気は不調和より生ずる罪業に起因するものだからである。或る熱心な誌友があり此の人は既に400人以上の病気を治した程の人だが未だ自分等夫婦の調和が円滑でなかったため、到頭大切な子供が惹きつけて一時息を引取って了った事があるが、私は私の書いた「生命の實相」で治して上げた事がある・・・・」と講演せり。

富山

高岡誌友相愛会会員 高田外三

5月下旬所轄署員に対し「今度の戦争(支那事変)は、日本の人口過剰に因って生ずる諸問題を解決する為、其の活路を大陸に求めたものであるが同色人種然も隣邦支那と事を構へるのは良い事ではない・・・・・」云々の言辞を洩らす。

岡山

生長の家講師

金子三十里

63日夜岡山県下に於ける講演会(聴衆約200名)に於いて「・・・

岡山のフセさんは 皇太后陛下に単独拝閲を賜った際、生長の家の真理を申し上げられ、尚女官長や女官の方に迄生長の家の事を申上げて置かれたそうであるから、何れは 皇后陛下 進んで 天皇陛下の上聞に達することと拝察せらる」と講演す。

鳥取

 

生長の家鳥取支部長 北村栄一

913日に所轄署員に対し「天皇陛下は宇宙の絶対神であらせられるが、我々は此の宇宙絶対神を信仰の対象としている・・・・

生長の家谷口雅春は宇宙絶対神よりの神示を霊感され書物を書き講演をされるのであって、その霊感に依って書かれた経典『甘露の法雨』は人生を一切の不幸から隔離するものである。

『甘露の法雨』を所持して出征した者で戦死したものは全国で一人も無いし負傷したものはあるが、之は神の思召に依り一時休養を命ぜられたもので、直ぐ癒るのである。此の事は一見不思議に見えるが、生長の家本部から『甘露の法雨』所持者に対しては絶えず或る種の思念が送られているからである。我々は出征者のある時は『喜んで死んで忠魂となれ」とは云わない、常に『人は神の子であるから生きて還れ』と激励している」との言辞を洩らす。

高知

 

 

 

 

 

 

生長の家本部工場部次長

有留弘泰

 

 

 

 

51日夜土佐高等女学校に於ける講演会(聴衆約270名)席上「・・・・我国に於いては天照大神を天祖、天皇陛下を天主、歴代皇孫を天孫と称し奉って居る、之を唯物的に考えると別々の如くでであるが精神的に考えると一である。天皇陛下は現人神であられ身長が5尺幾寸かで、体重は十何貫匁かの御体と拝しているが、本当の現人神様は宇宙の神様であり吾等を慈しまれている」旨の講演をなす。

宮崎

光明思想普及会取締役

巽 忠蔵

112日夜宮崎市に於ける講演会(聴衆約150名)に於いて「勝たずば生きて還らじと」と云う軍歌があり今や多くの兵士が死んで来ますと云って出征して居るが之は間違って居る「自分は『必勝生還』と言う事が本当であると思う」と講演す。

 

 

ただ、それならば谷口雅春先生の御著書に戦前では如何なる処分があったのであるかであります。

それは国会図書館に於ける来歴でしか正式にはわからない部分もあり、私の所有する本から推察するとここで掲載したそれ以上の数字を凌駕する発禁された本があるのではないかと思っています。それではまずは昭和55年に発行された『国立国会図書館所蔵 発禁図書目録―1945年以前―』からみてみますと

そのはしがきには当時の、収集整理部長の林修氏が次のように述べている。

 

 この目録は、昭和51年以来数次にわたって、米国議会図書館から返還されてきた接収発禁図書と、当館が受けついでいる帝国図書館旧蔵のものとを合せて、当館が現在所蔵している発禁図書2,186点の全容を明らかにするとともに、その閲読利用の便をはかるために編さんしたものである。

 これらの図書は、いずれも特殊な来歴を背負っているので、その経緯等をここに書きとどめておきたい。

 このたび返還完了をみた発禁図書は、米軍が日本占領直後に旧内務省から接収し、その後、米国議会図書館に保管されていたものである。その返還を求める声は昭和46年〔一九七一〕ごろから本格化し、国会の場でもこれがとりあげられ、やがて日米両国政府間の外交交渉が始められた。当館は折衝の基礎的資料として、当面返還を求める図書のリストを作成し、これを外務省に提出した。その後いくたの曲折を経たが、最大の難関は、わが国が講和条約〔サンフランシスコ平和条約〕によってかかる物件の返還請求権を放棄していること、加えて、すでに米国議会図書館の蔵書に正式に編入されていたことであった。従って、返還されるにせよ、それは図書ではなくマイクロフィルムによる公算が当初は大であった。しかし最終的には、原本の返還が実現をみるに至った。これは、米国議会図書館の格別の好意に負うところが大きい。返還は昭和51年〔一九七六〕7月から6回にわたって行われ、昭和53年12月に完了した。総数1,062点を数える。

 一方、国立国会図書館支部上野図書館の前身である帝国図書館も、発禁図書の一部を所蔵していた。戦前は、旧出版法(明治26・4)にもとづき、出版物は出版の三日前までに、内務省に二部提出することを義務づけられ、検閲の結果、発売頒布の禁止処分に付された図書は、内務省が保管してきた。しかし昭和12年〔一九三七〕に至って、発禁図書の分散管理を目的として、その副本を帝国図書館が保管することとなり、内務省は従前保管してきた発禁図書の副本を移管し、以降も移管が続けられて敗戦を迎えた。帝国図書館が移管をうけたものを、内務省警保局が刊行した「禁止単行本目録」や「出版警察報」と照合してみると、相当数の欠落を見出すことができる。なお、内務省保管書庫は関東大震災〔一九二三年九月〕により焼失したので、当館が現在所蔵する発禁図書はすべて大正12年〔一九二三〕秋以降発禁処分を受けた図書である。

 かつての出版検閲の苛烈〈カレツ〉さは、出版・言論の自由を亨受している当代の想像をはるかに超えるものであった。戦後、発禁図書に関する調査研究もすすみ、多くの書誌類も刊行されているが、発禁図書そのものを図書館という公共の場において自由に閲覧できることの意義を改めてかみしめてみたい。この目録が、出版物の検閲に関心をよせられる人々に少しでも役立つことを希う〈ネガウ〉ものである。

 

 総数が、二一八六点で、うち米国議会図書館から返却されたものが一〇六二点ということは、残りの一一二四点が、一九三七年(昭和一二)以降、帝国図書館に移管されてきた「副本」ということになるのであろうが、即断は控えなければならない。

 今日、国会図書館が所蔵している「発禁本」の来歴は、この短い文章では、とても語り切れないものがあったはずである。このあたりの経緯を、詳しく紹介している文章があれば(一冊の本になりそうな気がする)、ぜひ読んでみたいものである。

 ところで、この発禁本目録には、一昨日および昨日のコラムで紹介した信濃憂人訳編『支那人の見た日本人』(一九三七)も載っている。目録には、「安 昭12.11.23」とあるので、処分理由は、「安寧秩序妨害」であったことがわかる。

 

 

安寧秩序妨害

この「安寧秩序妨害」というのは「社会運動の状況」での警保局からの説明では

 

教説を妄信するの結果或いは医療を妨害し、又は人心を誑惑する等の虞ある言説を弄し、更に又教勢を誇称せんとして畏くも皇室皇族の御事に言及する等のことある等注目すべき事象をも見つつある実情なり。

 

やはり教説の妄信というのは「病気は無い」などというのは医療妨害にあたるということである。

  1. 医療妨害的布教活動

  2. 風俗壊乱的布教言動

  3. 人心誑惑言説

     

    また、昭和14年度の「社会運動の状況」には

    【『生命の實相』第二巻(昭和14625日発行)(菊装版)は内容中に医療妨害、人心惑乱等 安寧を妨害するものありたる為、718日削除処分せられたり。(社会運動の状況昭和14年度版 より抜粋)内務省警保局】

     

    こうしたことが「国民の安寧を妨害している」という根拠をして処罰の対象としたのが内務省警保局である。

     

    また、更に詳しい内容が国会図書館発行した平成28年『参考書誌研究』第73号(平成283月)に詳しい。

     

    1.「禁安」「禁風」について

    本稿は、『参考書誌研究』第73号に掲載した「受入後に発禁となり閲覧制限された図書に関する調査―戦前の出版法制下の旧帝国図書館における例―」の続編である。

    国立国会図書館の前身である帝国図書館では、戦前言論弾圧の法的根拠となった出版法の下、内務省により「安寧秩序紊乱」若しくは「風俗壊乱」に当たるとされて発売頒布禁止、部分削除又は次版改訂などの処分を受けた、いわゆる「発禁本(発禁図書)」を閲覧禁止本として所蔵していた。

    このうち前稿では、一旦は利用に供されたものの、その後発売頒布禁止となり、所蔵資料でありながら閲覧を制限された図書「禁凾」について取り上げた。

    本稿では「禁安」、「禁風」と呼ばれる排架記号を持つ資料群を扱う。

    下図は安寧不問となった『余の國家主義』の本です。