私は以前に学ぶ会の関係で少し反対の意見をいえば、袋叩きにあった。

これは日本人の中に存在している、反論は許さないという心情を垣間見る。そういう反論を述べたのは下記の「本音の時代」さんである。ただその意見はある面頷ける点がある。ただ、それを云えば

 

「寝言は寝てから言いなさい❗❗

「社会事業団では、どなたにでも販売しています。寝言は寝てから言いなさい気違いに刃物とはよく言ったものです。」

 

 

良く読めば「著作権」はあくまで光明思想社で印刷など自由にして下さいという意味です。その利益の一部は光明思想社に還元する。

 

確かに、それでも日本教文社から発行はしないと「本音の時代」さんはいっておられますので、それも承知で書いて居られます。

 

ただ、日本教文社が本気で発行すれば、その時は光明思想社の『新編生命の實相』は売れないだろう。それを考えると光明思想社はそんなことは行わないし、あり得ないであろう。

ただ「本音の時代」さんの意見を真摯に受け止める姿勢は必要である。

それならば、現在の「新編『生命の實相』」が3か月に一回の発行で残り38巻で終講はこれから9年かかる計算となる。今年の発刊は5巻です。
それまで『生命の實相』という聖典が販売されない期間があるという危機感を反証する人には感じられない。

それではどうすればそれも解決する道があるのであろうか。

そこで一つの提案ですが、私は現在も光明思想社で発行可能(光明思想社で頭注版『生命の實相』を販売していました。オンデマンド版)なので、そのまま続行して頭注版『生命の實相』を発行すればいいだけである。少し価格は高くなるがそれも致し方ありません。ほんとうに簡単なことなんです。

それさえも許さないのはおかしいと「本音の時代」さんの意見に反論する人は
オンデマンド版『生命の實相』を購入したい提案すればいい。簡単なことである。

ただ、それを認可しなければ「光明思想社」の方策がオカシイこととなる。「破邪顕正」さんがオンデマンド版の販売は掲示板で記入されています。

それを行わないのは新編『生命の實相』が売れなくなるからです。

私は今回天国に召された森田征史先生が新編『生命の實相』の発行には反対されていたことは当時から知っていた。新編『生命の實相』が既に販売するということで印刷會社も既に進んでいたが、それでも発行に反対されて当時の光明思想社の責任者と話合いをしたが、発行を中止しなかった。

私もその反対理由をブログで整然と述べたが、反論する人間はいなかったが、それでも発行を進めてしまった。

昭和22年の1220日頃であったことははっきりと憶えている。販売からほんの数日であった。もうそれから8年が経過したと考えると、その時に中止した方がよかったと今でも考える。
それでは「本音の時代」さんの意見を抜粋する。

 

日時:20171206 () 2219
名前:本音の時代


 生長の家社会事業団の『生命の實相』等の著作権問題により、日本教文社からの『生命の實相』『聖経』等の発行はできなくなった。その非は、教団側にあるものの、発行禁止の処置を講じた社会事業団側の思惑にも不純な部分があったものと私は感じている。『新編』発行の強い願望の存在もその一因ではなかろうか。しかし、そこに我欲はなかっただろうか。『生命の實相』を読みたい人達の願いは届いていない。救済の道は閉ざされている。救いを求める人々のためになっているのだろうか。組織の我のより優先するものがあるのではないか。
 奪うものは奪われるのである。これは法則である。奪うことを優先した者に、何が与えれるというのだ。得をした者がいたのだろうか。生長の家の教えは目先のことだけを考えた教えであったろうか。『生命の實相』『聖経』等を発行できなくなったため教団側は痛い目にあったと当然のように見ているのなら、それは、生長の家的にはあまりにも次元が低いのではないか。
 生長の家の教えは、『与える』の教えである。
 生長の家社会事業団さん、日本教文社からの『頭注版生命の實相』と『聖経』の発行を認めなさい。使用料は、しっかりいただきなさい。『新編』は収支成立の自信があるのだから継続していけばよいのではありませんか。
 在籍信徒の社会事業団側(学ぶ会、光明思想社)に対する反目は現状も依然として強大なものがあります。反目の原因となっているものは解く必要があります。もう時間がありません。躊躇していたら谷口雅春先生の生長の家がなくなってしまいます。脚下照顧。