森田征史先生がお亡くなりになられたという一報は朝の10時には阪田成一先生から連絡が入りました。仕事でバタバタしていた私はその電話を取ることが出来ないまま午後の12時10分に阪田先生に連絡させていただいた。
今朝午前9時7分に旅立たれたことを告げられました。
何か虚無の状態で澎湃とした心境で彷徨している自分がいる。
御身体は随分と悪いとはお聞きしていたが、愕然とする。
「ハイハイ」と言葉少ない連絡が終ったが、本当に私にとって青春そのものが『百万運動』であった。いろんな迷惑ばかりが思い出として残る。
来阪された時は「関西ホテル」という所に泊まっていただいたが、あとで怒られたことも多々あった。弱気の虫が言葉で出た時は「こっぴどく」怒られたことが記憶にある。
青年会時代にそうした「森田征史先生」がおられたからこそ、『百万運動』が達成されたのである。今迄の「生長の家」には無かった感覺は「とても新鮮」で素晴らしい気持ちであった。この人についていこうと思ったのは間違いなかった。
九州で教化部長の時代も時折、近畿に来られて「講演」をしていただいた。
その中でも、彦根で一泊した時や何度か「カラオケ」に行ったことが楽しい思い出である。先生の「月光仮面」の歌は最高だった。
大阪教化部部長時代は「百万運動」の仲間と会う時はいつも運転手となる。家も近かったのがその「縁」である。皆が飲んでいてもその時は断酒である。そんな時に帰宅の時は少し本音もでる。
関西弁が出るときは「講演」にも迫力がある。
楽しい思い出が沢山ある。私にとっては森田征史先生は「青春そのもの」であったからである。
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