6年程前に奈良県と三重県の県境であり、山奥である川上村に行ったことを常に思い出す。

それは宮内庁管轄の川上陵墓参考地と河野宮墓と北山宮墓を行った時である。

何か日本の歴史の奥深さというのか、伝統というのかそういう得体の知れぬ波動のような感情を感じたからである。丁度川上陵墓参考地の参拝時に連なる山峰の標高の高い所にポッツリとその墓がある。

しかも、この地域にはそうした後南朝の歴史が脈々と今も生きているのを感じたからである。

「後南朝」という言葉も今は知っている人も少ない。

その六年前に訪問した時にもう一度是非訪問しようと決意しているのだが、行く機会がなかなか見つからない。

その当時のこうした山奥に南朝の系譜の天皇の子孫がおられたことを知っておくことも必要であろう。

その奈良県には「三之公川」があり、その近くに「三之公行宮」という所がある。山奥の奥である場所にひっそりと行宮された場所があることには驚くが、それ以外にも河野宮行幸跡もある。それは全て山奥の深い場所にある。

 

私はそういうことをやはり詳細に伝えなければならないことを深く感じる。