『生長の家教義研修講座』で講師になりたい人は何の試験もなく、バッチと名刺で済むのです。私はこれについてはおかしいと思っているが、私もそれにより講師の資格はある。

だが、私を含めて本当にいいのであろうか?と考えてしまう。

確かに、それを選別するのは難しいが、『生命の實相』40巻を読破した人とか基準になるものが一つ必要である。
長年にわたり活動しているだとか

試験も本来は必要であろう。三日間通しての受講だけではなく、本当に生長の家の眞理が把握できているのかを何らかの基準は絶対必要である。

また、講師の把握は必要であろう。ほったらかしにすれば講師など必要はない。

 

現在、谷口雅春先生の著作が少なくなっている、そのなかで対策を講じなければならない。それも行わずに講師だけ増やすのは反対である。

 

最後の決意発表で講師になりますというと拍手が起きていたが、私はおかしいと感じていた。少しおかしいと思い私は少しとぼけて「講師」になっても、何もすることがない、講師派遣を決めて欲しい。といえば「前原先生」が遮断してきた。決意発表と関係ないと・・・

それでも安東先生は評価して下さった。その通りであると

 

貴方はどう思いますか?